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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

カテゴリ:旅の話( 231 )

突然訪米記(終)

 今回で終了の突然訪米記、その6回目。


 葬儀の翌日は朝5時に出発。JFKからの帰りの便は正午だった。2時間近くもゆとりを持って出発。行きもそうだが帰りも真っ暗な中をひたすら移動した。途中で一度だけトイレ休憩をし、東へ東へと移動。

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出発の時お願いして親父の家の前を通ってもらった

 明るくなり始めるあたりから渋滞が始まり、パットのナビゲーションで渋滞を回避をしていたがあまり思うようには進んでいなかった。


 後部座席で我が家のわんこの様子をウェブカメラで見ていた。日本はすでに夜でわんことママがのんびりくつろいでいた。


 車がニューヨークに入ると時間帯からしてもさらに渋滞は激しくなっていったが、ラガーディア空港の脇を通過したあたりからはだいぶ流れも良くなっていた。

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ヤンキースタジアムの横も通った(ただ見ただけ)

 JFK空港にはフライトの1時間ほど前に到着。まずはゲイリー達と軽く食事をしてそこでお別れ。パスポートコントロールを済ませ、ギリギリで搭乗。あとは長い長いフライトが待っていた。帰りは14時間25分のフライトだった。

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JFK空港、出国ゲートに長蛇の列
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帰りの機内食

 日付変更線を超えて仁川空港に到着したのが現地時間の16時25分。金浦空港発は19時半だ。3時間の余裕があるとはいえ出発する空港が違うこともあって急がねばならない。これまでだったらこのくらいの時間があれば余裕ともいえたのだが、荷物を先に預けてあったのでその受け取りに時間がかかった。さらに仁川から金浦までの移動がたいへん。シャトルバスに乗れば1時間ほどで行けるがそれなりに料金がかかる。ということで仁川からは空港鉄道で移動。こっちの方が安い。そして乗り換えもないので早い。

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仁川空港

 こうして時間をかけずに金浦空港まで移動はできたがそれでも時間はギリギリだった。その理由は空港の乗り換えにある。


 仁川空港から仁川発のフライトを利用すればそれはトランジットといって韓国には入国しない。(ただし仁川発東京行きはたいてい成田空港行きだ)それに対して金浦空港へ移動する場合には一時的に韓国に入国をしなければいけない、これをストップオーバーという。今回利用したチケットはストップオーバーをするために料金も違っていた。旅行代理店や航空会社ではこのストップオーバーを利用して経由地でも観光できるようなチケット手配もできるくらい便利な制度ではあるが、急いでいる人には面倒で時間がかかるだけ。ま、このストップオーバーのおかげで行きは韓国での乗り換え時間が20時間もできたので文句も言えない。


 この入国手続きが仁川空港でものすごい時間を要してしまい、30分以上も行列にならばされたためにすっかり時間がなくなってしまった。


 そんなわけで鉄道ですいすい移動ができてもちっとも時間などなかった。というかすいすい移動ができなければ確実にアウトだ。移動手段があらかじめわかっていないとちょっと乗り換えは難しいし、仁川で降りた時も放り出されるような感じだ。この手の便を利用して日本に帰るときは韓国内での乗り換えにだけは注意して。タクシーの方が早いと感じられるけど鉄道の利用をおすすめする。


 そんな時間がほとんどない中でも金浦空港の免税店には立ち寄りお土産も買って出発。羽田空港に到着したのが10時少し前のことだった。羽田到着で本当に助かった。ここからはバスに乗って帰宅。


 帰って来てもわんこもママもいなかった。それはニューヨークに向かう車の中で何度かウェブカメラで家の様子を見ていたが、のんびりくつろいでいたはずのママは突然実家に帰らなければならず、わんこは行きつけの動物病院に急遽預けられていたからだ。


 わんこは翌日引き取りに行ったがそれから半月ほどママは帰ってこなかった。ママのママが危篤の状態になりそれから看病生活が始まった。その知らせを受けたのは伯母の葬儀も終えてニューヨークへ向かう移動中の話だった■


突然訪米記 おわり


by fibich | 2018-04-17 21:05 | 旅の話 | Comments(0)

突然訪米記(5)

 突然訪米記の5回目。アメリカ3日目のこと。ここに来てようやくこの訪米の最大の目的である伯母の葬儀について書く。(それ以前とこれ以降はあくまでおまけ)


 これまで親戚友人知人の葬儀には何度となく出たが、アメリカで葬儀というのは当然のこと初めてである。旅行中に葬儀に出くわすことはこれまでにインドネシアと韓国であった。インドネシア、それもバリ島はヒンズー教の島ということもあって葬儀の行列は非常に派手だった。葬儀とは思えないような印象を受けた。お隣韓国のお葬式は遺族が白装束を着たり、大声で泣きわめく役目の人がいるのが日本とは違うなと感じた(これはむしろ中国に近いのかもしれない)


 アメリカの葬儀というと映画で見たような墓地でお祈りを捧げて棺を埋めるなんてシーンが自動記述のように脳裏に浮かび、その際はやっぱり礼服じゃなきゃダメだよなと思ったので礼服だけは持って行った。しかしワイシャツの方は残念ながらこの旅行中にシワだらけになってしまい、前日急遽調達に出る有様だった。


 前日に斎場との打ち合わせもあったのだが、それでもあまりイメージは浮かんではこなかった。一番印象深かったのはゲイリーの家から歩いて3分もしないところにその斎場があったことと、斎場の前にあるワイオミング通りの向こうにはワイオミング・セメタリー(墓地)があったことだ。なので打ち合わせの時はあああの墓地でなにかするのだろうと思っていた。


 伯母は生前の遺言で火葬にしてくれと言っていたので、大きな棺桶ではなくて骨壷みたいなものを墓地に埋めるのだろうと勝手に想像していた。


 この日は午前中に歩いて斎場へ移動、向こうの親戚ご一同も大勢やって来ていた。ゲイリーの息子アーロンとライアン、昨日初めて会ったロバートの娘レイトンやロバートの嫁のジェニファー、他にもゲイリーの嫁パット側の親族、親父の親族も大勢来ていた、親父側の親族の大半はニュージャージーからやって来ていて、18年前にお披露目ではないのだがせっかくだからと親父に連れて行かれて紹介されたこともあるので顔は覚えていた。これまで会えなかったいとこのシャーリーもここで初めて会う(なぜか彼女の旦那のジムとは二度目なのだが)そして18年前にも会ったいとこのスーザンとその旦那のカールもやって来た。カールとは一番FBで繋がっているが、もとは18年前に一度会っている。気さくないい奴という印象が強い。どの人も僕の存在を知っていてよく来たなとばかりにハグをして来るあたりもアメリカっぽいよなと思った(僕はハグって嫌いじゃないけどね)。

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叔母の葬儀の祭壇、真ん中の黒いのが骨壷


 さて、葬儀だがそれ自体は斎場で行われた、斎場の中に祭壇が作られ、それも言っては失礼かもしれないが非常にシンプルなものだった。生前の写真も飾られている。中央には黒いセラミックで作られた骨壷もあった。日本の骨壷のように丸くはない。ご遺体はすでに焼かれて骨となり、その骨を祭壇に置いて葬儀が始まる。当たり前だが通夜と告別式の二段構えではない。正直言って「え、こんなものでいいの?」とさえ思ってしまったが所変われば品変わる、言葉も文化も変わるんだから葬式だって変わっていてもおかしくはない。


 全員が着席するとまずは賛美歌を歌い、その後聖書の一節を詠唱。文章にすればそれだけなのだがだいたい1時間ほどで終わってしまった。この1時間のために僕は片道14時間のフライトを含めた長い長い旅をしたのだ。この1時間があっけないとは言わないが、想像していたよりは短い時間だったことは言うまでもない。墓地の墓石の前で神父と一緒にアーメンなんていった映画で腐るほど出て来るシーンはまるでなかった。

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アメリカの親族、誰が誰とは書かぬが四人のいとこが全て揃っている


 せっかく日本から来たので何か一言と頼まれたので、自分のたどたどしい英語で5分ほど伯母の思い出などを語ってはみたが後になってあああれも言っておけばよかった、こんな思い出もあったと思い返すほど適当に緊張はしていた。


 葬儀が終わると早々にスーザン夫婦とロバート一家は帰って行った。他の親戚たちは歩いて行けるゲイリーの家に集まったが、そのあとはほとんどパーティーも同然だった。亡くなった人を悼む気持ちには違いはないのだろうが、これはこれでアメリカ風なんだなとつくづく感じたものだ。

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ゲイリー家のペット、名前はベル

 こうして午後はファミリーがみんな集まり談笑で盛り上がり飲み食いをしてそれぞれ少しずつ帰って行った。みんなが帰って行った後ゲイリーと二人で前日ロバートに連れて行ってもらったワイオミング・バレー・モールへ行き、JCペニーやOld Navyで母やママのお土産を買ったり、ペットショップでちょっと奮発してわんこの服を買ったりと忙しい時間を過ごした。

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ワイオミング・バレー・モール、平日夜という時間帯からして客はまばら


 その晩はゲイリー一家(パット、アーロン、ライアンとライアンのGFのギャビーまでやって来た)とワイオミング・バレー・モールで待ち合わせ、ステーキハウスで夕食をとった。このステーキハウスの隣の店がウォーター・スシという変わった名前のお店で、店の看板にはでかでかと「水」と書かれているあたりがアメリカだぁと思ったものだ。多分日本には「水寿司」という漢字三文字の名前の店はないんじゃないかな。またこのモールの道路向かいにあるマクドナルドは1960年代のマクドナルドを再現した妙にアメリカンレトロという言葉の似合うヘンテコな店だった。

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ステーキ食べたお店、バッファローチキンが売りらしい


 こうしてアメリカ最後の晩までなんだかんだと変わった物をみてはああここはアメリカなんだなと感じるのを楽しんでいた。


 食事も終えて家に戻ると翌朝は早いということもあって荷物のパッキングをし直し、早々に就寝■


by fibich | 2018-04-16 01:30 | 旅の話 | Comments(0)

突然訪米記(4)

 突然訪米記の4回目。前回はJFKに到着し、伯母が住んでいたワイオミングに到着するまでのことを書いた。今日はその翌日11月13日月曜日のこと。


 翌朝7時半ごろ目がさめるとすぐにゲイリーに「これから買い物に行くから一緒に行くか」と誘われる。パットにベーコンと卵を買ってくるように言われたらしい。早速車に乗り込んで近くのスーパー、プライスチョッパーに行く。着いたのが8時前でこんな朝っぱらからスーパーが開いているってのも、しかも自分が住んでいる横浜よりもずっとイナカのこの街でもというのが驚きだ。

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ルートビアさえあればOK,アメリカではダイエットタイプもある

 滞在中飲み物に困らぬようにルートビアとポテチを買って戻ってきた。時間があればスーパーをあれこれ見て回りたいのだがそこは流石にゲイリーのスケジュールに合わせる。


 ゲイリーは午後から仕事があるというので昼前くらいから伯母の旦那の家に行くことになった。この伯母の家は前日の晩にも近くを通っている、18年前にここに1ヶ月近く滞在していた懐かしい場所。そして伯母の旦那はアールという名前だが、僕はいつも彼のことをDadと呼んでいた。僕にとってはアメリカの親父だ。そんな親父との再会もできた。家には従兄弟のロバートもいた。


 ここでもう一度従兄弟について書くが、僕にはアメリカに4人のいとこがいる。一番上が長女のシャーリー、その次がゲイリー、その次にロバート、末っ子は次女のスーザンだ。18年前にはゲイリーとスーザンには会っているが、ロバートとはオンライン上でのやりとりしかなく、シャーリーに至っては電話で話したことくらいしかなかった。ただ去年までには4人のいとこたちとはFBで繋がっていた。


 親父の家に入るとロバートの嫁のジェニファーと娘のレイトンがいた。親父は奥に座っていてさすがに18年の歳月を経てだいぶ年老いた感じもした。何よりも耳が遠くなっていた。初めて見る親戚、特にレイトンとは血が繋がっているんだと思うとなんとも変な感じだ。アメリカの家族は伯母以外全員日本語が話せず、。ロバートが一人自分のルーツでもある日本を意識していて日本語を勉強中とのことだったが、字が読めるか読めないか程度のものだった。

 久しぶりに親父の家に入ると親父が僕が来たら見せたかったものがあると奥に通してくれた。18年前にはプール台が置かれていた物置はいつのまにか部屋いっぱいのジオラマになっていた。

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親父の趣味もここまで来たかとビックリ

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手前の青い家は親父の家のミニチュア

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奥にいるのがアメリカの親父、御歳94歳

 部屋の隅にはドローンが置いてあり、これが親父の最近の楽しみだとも言っていた。歳はとっても中身は変わらないあの時の親父だった。このジオラマの家や列車などすべて出来合いを買ったのではなく紙と木で作ったというから驚きだ。18年前にこの親父に「ロードサイド・アメリカ」という巨大ジオラマのテーマパークに連れて行ってもらったことがあったが、まさにそれを思い出した(ちなみにそのテーマパークは今年になって売りに出されることが決定している。)


 その後滞在中にいつもいた裏庭に回って見たが、すっかり荒れていてなんだか見るんじゃなかったなと思うばかりだ。

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18年前はここでバーベキューもした裏庭

 この後お昼過ぎから食事に出かけようという話になり、しばらくの間は親父の家にいた。その間にゲイリーの息子のアーロンがやって来た。我々世代の子供に当たるうち、昨晩ゲイリーの次男ライアンと会い、朝レイトンとも会ったがゲイリーだけが成人で子供の頃の姿を覚えている。僕が18年前に来た時はまだアーロンしかいなかった。


 どちらにしてもアメリカ側の親戚はそれなりにつながりもあり、日本にいる今では音沙汰が全くなくなったいとこ達を考えると情けないとまで思えるくらいだ。


 その後まずは斎場での打ち合わせがあり、それが終わるとアーロン、ゲイリー共に仕事があるので別行動に、それにしても母親が亡くなったのにもう仕事に出るとは、こういったところは日本とアメリカでの習慣の違いなのだろう。僕とロバート一家、それと親父の5人で近くのショッピングモールへいく。近くとは言っても車で20分ほどのところにある付近で最大の街、ウィルクスバレにあるワイオミング・バレー・モールというショッピングモールだ。ここには18年前もよく来ていて当時はカルフールなどもあったし、スーザンはここでデパガとして働いてもいた。


 昼食はこのモールにあるレッドロビン(全米にチェーンのあるレストラン)でハンバーガーを食べる。だいたいポテトとドリンクはお代わりができるのでここぞとばかりにルートビアを楽しんだ。

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レッドロビンで食べたハンバーガー

 この後ジェノファーとレイトンは先に宿に戻り、僕とロバートと親父の3人でショッピングモールに戻り、明日着る服を探す。ショッピングモールにはJCペニーはもちろん、日本では撤退したOld Navyもあった。そのほかにも事務用品専門のステイプルなどもあり、適当に買い物をする。以前ほど服には割安感がなかったが、それでもサイズが豊富なだけ助かる。


 その後はロバートと親父の所用(銀行など)に付き合い、夕方暗くなってからはゲイリーが働いているピザ屋へ向かう。ここで親戚が集まり夕食となった。さらにこの日はアーロンの誕生日ということもあって誕生日パーティーを行う。このパーティーの後はさらに隣町でサッカーの試合を見に行くことになっていたのだが、僕はあまりに疲れてしまい先にゲイリーの家に戻った。

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ゲイリーが働くピザ屋、ピザ・ラヴン

 この1日で18年前によく連れて行ってもらった場所にも行けた。感想としては日本ではそれだけの年月が過ぎれてすっかり変わってしまう町やショッピングモールもアメリカでは変わり方が遅く、ああこんな場所が、こんな店があったと往時を懐かしむことができた。同時に自分も歳とって思うように体が動かなくなったなと痛感した。ロバートにゲイリーの家まで送ってもらいしばらくは一人きりで留守番をしていたが程なくライアンが帰って来た。しばらくするとゲイリー達も帰って来てちょっとした団欒タイムになり、その後すぐ疲れもたまっていたので寝てしまった■


【次回に続く】


by fibich | 2018-04-11 22:42 | 旅の話 | Comments(0)

突然訪米記(3)

 突然訪米記の3回目。


 今回の訪米は突然のことで観光でもなんでもないため荷物も最小限、当然日頃使っているデジイチも持って行かなかったので写真はiPhoneで撮ったものだけである。


 ソウルからJFKまでの直行便はほとんど事前に準備もせずに搭乗しそのまま14時間ものフライトを余儀なくされる。エコノミークラスは当然狭くて自由に身動きもできず、異常なほどに乾燥するので喉も渇いた。

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上空から見たニューヨーク

 ところで面白いことだがニューヨークとソウルの時差は14時間。フライトの時間も14時間。といういことで出発時刻と到着時刻は全く同じだ。12日の20時にソウルを出発し、JFKに到着するのも12日の20時なのだ。なんだか変な感じであの長くてつらかった14時間のフライトはまったくなかったことになる。


 空港ではいとこのゲイリーとジムが出迎えに来ていた。ゲイリーは亡くなった伯母の長男。ジムは伯母の長女シャーリーのダンナだ。実は日本を出発するときにはニューヨークで一泊する予定だったが韓国にいる間にゲイリーからうちに泊まってと行って来た。さらにJFKまで迎えに来るとのことだった。

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JFK空港

 合流するとさっそくニューヨークを離れ、叔母が住んでいたペンシルベニア東部、ワイオミングに向かう。途中で休憩を入れ、そこでジムとは別れ、あとはゲイリーと二人で深夜のドライブ。詳しい距離などはわからないが3時間半ほどのドライブだ。途中で給油をした時にコンビニで飲み物を買ったが、その時にああ自分はアメリカまで来たんだなとリアリティをぐっと感じた。コンビニでは大好きなルートビアを2本買ってさっそく一本空けた。

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途中で一度給油

 ワイオミングのフォーティー・フォートという小さな町が伯母の住んでいた町で、ゲイリーの家はその隣にあるキングストンという町。どちらも自分にとっては懐かしい場所だ、そんな町に夜中にこっそりと入り込むというのもなんとも複雑な気持ち、明かりがすっかり消えた町はその変わり様もわからないほどだった。


 その日の晩はゲイリーの他にもゲイリーの奥さんのパットとも再会、さらにゲイリーの次男であるライアンとも会った。ライアンは前回来たときにはまだ生まれていなかった。


 葬儀は火曜日で翌日は1日空いていたのでその日は1日支度をすることに決めて就寝。フライトの疲れもあって早々に寝てしまった■


【次回に続く】


by fibich | 2018-04-09 21:31 | 旅の話 | Comments(0)

突然訪米記(2)

 突然訪米記の2回目。今回もまだアメリカには到達しません、前以て書いておきます。


 11月12日日曜日。前日の晩遅くに仁川の近く、カルサンにあるホテルにチェックインしたこともあり当然のことながら寝坊をした。朝8時過ぎくらいに目を覚まし、ホテルの周辺をうろうろしていると開いている店があったのでそこで朝食。朝からいきなりビビンバ。

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宿の近く
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朝から石焼ビビンバ
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いやらしく見せますよ
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店の中の様子、椅子はなくオールオンドル

 

 その後も宿に戻って支度だのなんだのをし、実際にチェックアウトができたのは10時過ぎくらいだっただろう、まずは搭乗チェックインをして重たい荷物を先に預けておこうと思い立ち仁川空港へ。


 荷物を預けて身軽になるとそのままソウルへと向かう。今は昔と違って仁川空港からそのままソウル駅まで行けるいい時代になった。仁川空港運用開始直後の時はまず金浦空港へ行き、そこからシャトルバスに乗ってというのが最も早い足だった。


 ソウル駅に到着するとそこから地下鉄に乗り換え2号線フェヒョン(會賢)駅まで行く。ここは南大門市場のど真ん中にある。この駅のすぐ近くにペットグッズ専門店ばかりのビルがあるという噂を聞いていたのだが、日曜日だったので閉まっていた。以前に比べれば日曜日営業の店も増えたが依然として韓国では日曜日お休みの店やビルが多い。

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わんこデパートは日曜日休業


 少ない時間を有効的に使うために前日から目的だけは絞っておいて、わんこ服を買って帰ることとお気に入りのアーティストのCDを買うことだけに絞ってソウルの街に飛び込んで行った。あれもこれもと欲張るとどれも達成できずに終わる。

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南大門市場、ちょっと裏通り


 しかし出鼻を挫かれ次の目標のCD探しに切り替える。といっても場所は南大門市場、CDなど売っている店はまずない。(写真を見てもわかるように南大門市場はとにかく衣類だ)


 しょうがなく歩いてミョンドン(明洞)まで行く。南大門市場から明洞なんてのはこれまででも何度となく歩いているので多少のタイムラグがあっても迷うことなく行けた。ソウルはとにかく慣れている(東京以上に慣れていると思う)


 明洞に着くとお目当のCDを探し当て買い求める。(これについてはまたそのうち)ここでフラフラ歩きまわるのはとにかく楽しいのだが、フラフラしていたら時間もなくなるのでフラフラ歩き回りながらわんこ服を売っている屋台を探すも、これはこれで明洞よりも南大門市場のほうが遭遇率高そうなので再び歩いて南大門市場へ。

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再び南大門市場、売ってるものの大半は衣類


 南大門市場ではいくつかわんこ服の屋台を見つけ、しつこく値段交渉をしてわんこ服を購入。しかしこちらが日本人だとわかり交渉が決裂すると罵られたりとなんとも不快な思いもする、以前だったらここまで酷いことはなかったのに、やっぱり自分が韓国をしばらく留守にしていた間に日韓関係は冷え込んでいたんだなと肌で感じる。


 一方以前だったら外国人とわかると即日本人だとバレたものだが(バレても罵られはしなかったが)、今では外国人とわかると中国人だと思われる。それはそれでちょっと複雑な気持ちだ。基本は黙っていればまずもって外国人だと疑われない(疑われない所作や食事作法も心得ているし)。目標達成した後も屋台でおでんを食べたり場末の食堂でビビンバと冷麺のセットを食べたりと思いっきり韓国を懐かしんで来た。そう、途中で嫌な目にも遭ったが久しぶりの韓国はまるで長いこと会っていなかった友達と再会できた気分でもあった。

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ということで、屋台でおでんは必須
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さらに冷麺とビビンバを喰らう


 しかしここで寄り道をしすぎ、ソウル駅からは特急に乗って仁川空港へと急いだがフライトにはかろうじて間に合うくらいの大遅刻をしてしまった。慌てて出国手続きをするとそのまま飛行機に乗せられて14時間の長いフライトへと突入した■

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南大門市場で手に入れたわんこ服


【次回に続く】


by fibich | 2018-04-09 01:00 | 旅の話 | Comments(0)

突然訪米記(1)

 去年の11月、突然訪米をした。海外旅行は新婚旅行以来の実に8年ぶりのこと。

 11月8日、FB上で親戚の一人が伯母の危篤を報告したことから始まる。最初にこの話をFB上にアップしたのは従姉妹のダンナのカールだった。何か良からぬことが怒ったなと気がきではなかったのだが、翌日別の従兄弟のゲイリーから伯母の訃報をメッセンジャー経由で知らされた。

 職場には事前にもしものことがありそうなのでその際は米国へ行くと伝えてあり、管理職も緊急なのだから届出なんて後でいいという許可ももらっておいた。

 訃報を受けるとすぐに母と相談し、親戚の代表として葬儀に参列することになった。ここまでの話は自分でもまあ当然だろうと思う。その後が大変だった。

 まずは往復航空券の手配だ。今は昔とは違いネットであれこれと検索できるが、格安となると乗り換え便が多い。それも安いと北京経由とか絶対にありえないようなものが多い。次に多いのが米国内でなんども乗り換え、そのうちの大半はどこかで滞在する必要がある。もちろん直行便を手配すれば済むが、直行便のニューヨーク往復は高すぎる。

 伯母が住んでいたのは東部ペンシルベニア州のこれまた東側、ニューヨークからは車で3時間程度の距離だ。当初は地元のスクラントン空港行きを探したが、あまり接続が良くなくて移動だけでも二日かかる。(料金にそれほどの差はなかった)

 こうしてあれこれ検索して手配したのが大韓航空ソウル経由だった。厳密に書けば羽田〜金浦便+仁川〜JFK直行便だった。どうせ滞在するのなら勝手知ったる韓国で滞在したほうがいいし、値段もそこそこだったので決めた。ところが韓国での滞在は往路で20時間。こちらはいいとして復路はたったの2時間だ。これはまたのちに書く。

 こうしてチケットを手配して11月11日土曜日の晩に羽田空港へ、羽田が国際ターミナルとして本格運用されてから初めて国際線を利用した。
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羽田空港国際ターミナル

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機内食。大韓航空の機内食はなかなか口に合う。


 羽田から金浦空港まではおよそ2時間。けっこう遅い時間に到着し、そこからは羽田空港の待ち時間中にネットで押さえた宿へと直行。宿は仁川からほど近いプチョン(富川)市内にある1泊およそ7千円の宿だった。地下鉄ではブチョンの近くにあるカルサン(葛山)駅が最寄りだが、駅からは15分ほど歩く場所だった。金浦空港駅から地下鉄を乗り継ぎカルサン駅まで着いた時はすでに夜も11時を回っていた。季節はまだ秋だったが韓国はすでに冬で、夜ともなると結構冷えた。宿にチェックインすると近くのコンビニで食料を調達してその晩を過ごす。
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韓国の地下鉄、新しい車両は網棚がない
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プチョンのホテル、簡単な部屋だが快適だった
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ホテルのすぐ横の路地、案外暗い

 翌日のフライトは仁川空港を20時過ぎで、ほぼ1日時間があるので久しぶりにソウル散策でもしようかと考えていたが、いかんせんチェックインが遅くてその分寝るのも遅くなり、それがそのまま翌朝に影響したのは言うまでもない■

【次回に続く】

by fibich | 2018-04-08 01:47 | 旅の話 | Comments(0)

浅草散策

 シルバーウィークを利用して四国へ行ったんだけど、その時の話はまだ書いてない。でもこっちはすぐにかけそうなので書こう。

 先週の日曜日、妻がかねてより念珠が欲しいというので浅草に行ってきた。妻はいつも念珠を手首に付けているのだが特に信心深いというのではなく、単にお守りとして身に付けている。僕も以前は本水晶の念珠を手首に付けていたのだがだんだんとゴム紐が伸びて来てゆるゆるになったので今ではつけていない。思えば先の先の遍路旅で札所40番観自在寺に行ったときに買ったものだ。

 3年前4回目の結願を終えてから巡礼用の数珠を新しくしようと思い札所で探し回っていた。今使っているものはアクリル玉のもので、これはお遍路を始めた時に買ったもの。二回目を始めるときに新たに黒い珠の数珠を買い、それを3回目までは使っていたが、四国だけでなく坂東観音巡礼や秩父観音巡礼の時も使い、坂東札所14番弘明寺の境内で自然にほどけてしまった。以来再び最初に買った数珠を使い続けていた。

 四国も4巡目が終わり、金剛杖と輪袈裟も新しくしたが数珠だけはまだだった。で、今回札所77番門前の巡礼用品店で漸く探し回っていたものを見つけたので買った次第。それは見た目はこれまで使っていた数珠の珠がアクリルではなくて本水晶のものだ。遍路が使う数珠は真言の数珠で、珠数は108あるので本水晶だと値が張るのはわかっていたが今回思い切って買ったのだ。

 これを見ていた妻が黙っているわけがない、自分も念珠を探していたのになかなか見つけられない。四国にいた時もあれこれ探していただろうに見つからなかったのだがこうなったら日本最大級の仏具店の集まる町、浅草へ行こうと言い出したのである。

 さて、前置きは長くなったが今回は思う存分念珠を探してもらい、気に入ったものが手に入ればそれでいいやと思っていたので浅草見物なんてものも端っから考えてもなかった。

 地元の駅から上野東京ラインで上野まで行き、そこから浅草までの通称「浅草通り」は日本屈指の仏壇通りでもあった。とにかく浅草方向に向かった右手には仏壇、仏具店が軒を連ねるちょっと異様な場所である。なぜ右側だけかというと仏具店は直射日光を嫌うのだ。ちょうど神田神保町で古本屋が同じ側にしかないのとまったく同じ理由である。

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◆今回の出発は上野駅
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◆浅草通りに入ったとたんに仏壇通りはスタートする
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◆歴史も半端ない
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◆途中には下谷神社という立派な神社も

 写真に神社が登場したのでこれも書くが、この仏壇通り、仏壇ばかりを扱っているわけではなく、神事に関係するお祭りの道具やお社などを扱った店もある。まさにお祈りする人のための通りだ。

 それにしてもひいき目に見たって不気味な通りである。とにかく仏具店なんてそんなに客がいるわけでもなく、
足を踏み入れるにしてもかなりの勇気が必要だ。仏具店だけに扱っている数珠もいろんな種類があるのだが、さすがに仏壇通りともなるとどこかの有名なお寺の門前で売られているような数珠とは違って本職が使うようなものがたくさんある。もちろん冷やかしなんてまったくシャレになっていない。そしてそんな雰囲気の店が軒を連ねているのだ。おおお立派な仏壇いくらくらいするんだろうと覗いてみると平気で100万円以上もするようなものが置かれているのだからお店に入るだけでも神経を使う、実に疲れる通りだ。ここにはぶらりと見物して楽しむなんて洒落っ気は一切ない。

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◆仏壇通りは上野から稲荷町、最終的には田原町まで続く
◆稲荷町駅付近には反対側にも店があった

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◆浅草通りから合羽橋商店街が始まる

 しばらく歩くと合羽橋商店街の南端に出てくる。ここから北方面に伸びる合羽橋商店街もまた専門店が軒を連ねるのだがこちらは観光客もよくやってくるし楽しそうだ。一方まだまだ続く仏壇通りはなんとも異様な雰囲気が続き、観光とはまったくもって縁遠い風景が続く。

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◆合羽橋入口の近くには東本願寺もある

 さて、この仏壇通りでいくつもの仏具店に入っては念珠を探したが、たいていのお店の人は冷やかしとはわかっていながらも(こちらはそんなつもりではないが)しっかりとお話を聞いてくれて懇切丁寧に説明もしてくれる。数珠の種類についてもあるものはある、ないものはなくてすみませんでしたといった姿勢で接客をするのだが、そんな中で〇善堂という店で妻が念珠を探していると店員にいうと…

「そんなものはブレスレットでしょう、うちでは扱ってません。ここよりも浅草の仲見世ででも探せばいいんですよ。」

 といった感じの客を客とも思わない無礼な応対をする店もあった。ちょっと耳を疑ったが確かにそう言った。少なくとも妻が探していたのは念珠であり、ブレスレット感覚で身に付けているとはいえ妻は真剣に念珠を探していたのだ。だからおそらくブレスレットなど買い与えても満足はしなかっただろう。あまりにも無礼すぎるよね三〇堂さんさ。心のない店員にちょっと不快な思いをさせられた。

 仏壇通りの田原町駅近くにあるお店で妻がネットでも見たという滝田商店という店に入り、そこでようやく理想の念珠が見つかったらしくて念珠を手にすることができた。店員さんも親切だったしiPadを使っていろいろと検索もしてくれた。ついでだったのでゴム紐が伸びきった僕の念珠も修理に出した。

 こうして我々の目的は無事に終了した。この後は浅草まで歩いたが面白いことにこの仏壇通り、田原町から先は仏壇屋がプツリと途絶える。そんなわけで仏壇通りは実際には浅草あ通りの上野から田原町までの間のことを指すのだろう。

 田原町から先も浅草まで歩くと雷門のすぐ手前あたりに北海道のアンテナショップがあったのでそこでソフトクリームを食べコアップガラナを飲んで休憩。雷門をくぐり外国人でごった返すイモ洗い仲見世を通って浅草寺にお参りをした。しかしつくづく寺好きだなと思われちゃってもしょうがないかな。

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◆外国人の憧れの地、浅草雷門
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◆ご存じ浅草寺、坂東三十三観音巡礼の札所13番


 お参りの後は伝法院通りを歩き、この通りにあるブラシの専門店、かねやでわんこ用のブラシを買い求めた。我が家のわんこのグルーミングはこの店のペット用ブラシを使っている。
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◆伝法院通り、ここは芸人の衣装屋も多い

 この後は本当に浅草見物、気の向くままにブラブラ歩き回り写真を撮って回ってはいつしか日も暮れていくことさえ忘れていた。

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◆どことなく懐かしい気持ちになる花やしき
 
 六区の近くには飲み屋が並んでいて機から美流渡何を食べても美味しそうで何よりも楽しそうだったのだが、僕はお酒が飲めないからこういったお店の楽しみとは皆目無縁であり、それが残念でならない。

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 夕飯は老舗の天婦羅や、大黒屋で天丼を食べた。すっかり暗くなってから浅草駅前にある仏具店に寄ってお線香も買って帰った。この店は四国や西国、秩父、坂東といった巡礼の用品もちゃんと備えている。

 全く非日常的な仏壇通りをフラフラ歩き回り、浅草見物をぶらぶらしてお土産には人形焼ではなくお線香を買って帰るのもなんとも我が家らしいなと思った。最初は地下鉄に乗って上野まで行こうと思っていたのだがせっかく来たのだからもう一度夜の浅草通りを上野まで歩いて帰ることにした■

by fibich | 2015-10-03 00:27 | 旅の話 | Comments(0)

遍路日記2015夏 伊予札所紹介⑤

 この夏の伊予一国打ち遍路旅で打った札所紹介も今回が最終回。今回は伊予三島にある札所65番三角寺と今回は打たなかった札所40番観自在寺の紹介です。札所64番前神寺を出ると次の三角寺までは距離があり、たいていは松山自動車道に入って川之江三島ICで降りる。ここで降りると三角寺へ向かう道に入りやすいので便利。バイク遍路時代は川之江を拠点の一つとしていて、市街から離れた山中にある切山という集落にある四阿で野宿をしたこともあった。高い場所にあって涼しかったことを今でも覚えている。

【札所65番 三角寺】
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 場所は伊予東部、伊予三島(現在は四国中央市)にある。麓の三島から延々と山道を登った先にある山寺で、駐車場からは石段をさらに上ってやって境内に入るが、境内は至って町寺のようなたたずまい。山門に鐘があり手水場は境内の奥のほうにある。順番を守るとしたら行ったり来たりとあわただしくなることは必至。

 寺の縁起は行基菩薩が開山したという言い伝え。弘法大師が後にこの寺で三角形の護摩壇を築いて三週間の護摩行を行ったことから三角寺と名前が付き、境内には三角形の池がある。往時は栄えて大きな寺だったが度重なる戦火により消失し、19世紀になって復興した。

 本尊は十一面観世音菩薩、これは弘法大師が据え置いたもので、それ以前は弥勒如来だったという。現在でも大師堂に大師像とともに安置され、2014年に初めて御開帳されたという。

 本編でも書いたがここの石段は段が高くて苦労する。膝が痛くなるのは必至だ。見上げると鐘がついた山門が待ち構えている。また最近は納経所でもお金を両替してくれる札所がちらりほらりと増えつつあるが、この三角寺はだいぶ以前からそのサービスを行っていた。

 駐車場は石段下で有料。常に監視しているおじさんがいるので駐車料金を誤魔化すことはできないがここに車を止めておけばまず車上狙いの心配はない。

【札所40番 観自在寺】
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 場所は愛媛県愛南町(旧御荘町)。高知県宿毛市からだいたい20キロほどの距離。札所1番霊山寺から最も離れていて裏関所としても知られている。距離的にはこの寺が、順番は久万高原にある札所44番がそれぞれ巡礼の折り返し点と考えられている。

 この寺は弘法大師が開基した寺で、平城天皇の勅願により弘法大師が一本の木から本尊の薬師如来像、脇侍の阿弥陀如来像と十一面観音像を彫ったという言い伝えがある。何度か失火で堂を失っているが、最後の火災は1959年でその時には本堂を失っている。

 駐車場は山門前に広く取ってあるが御荘の町から入ってくる道が狭いため観光バスは通れない(と思うがもしかしたら通れるのかも)

 ここのお寺の納経所には大塚さんという非常に面倒見の良い方がいらして、何度も巡っている人には顔なじみでもある。最後にお詣りをした時には大先達の錦札をお接待として頂いた。間違いなく我が家の家宝である。以前この大塚さんと食事を共にしたことがあったのだが、四国巡礼がブームになり団体様も来るのはいいことだが、本来の目的を忘れてスタンプラリーみたいな感覚で巡礼している人が多すぎる、せめて本堂だけでもちゃんとお参りしてほしいというようなことを仰っていた。というのもこのお寺の納経所は本堂の中にあり、結構多くの人が中に入ってきていきなり御朱印をもらいに来るのだという。

 確かに僕が巡礼を始めた時からそういった人は多かったと思うし、それは今でも同じことだと思う。この他にも団体様のマナーの低下、数年前から問題になっているお札泥棒(先達の金札、銀札や錦札を納経箱から盗んでいく輩がいる。)など、いろんな問題が四国88か所にはある。四国におけるお遍路は仏に近い存在で、自分たちの代わりに修業をしてくださると尊敬される存在であった、そのためにお接待という習慣もできたとも言われているが、お接待を受けるべきお遍路がお堂で他人のお札を盗むなんて嘆かわしい限りだ。

 この話を始めると止まらなくなるのでここでやめにはするが、自分だけでもしっかりとした心構えでこれからも巡礼を続けたいと思う。そうでないと大塚さんをはじめとした方々やこれまでにお接待をしてくださった方々にも顔向けができない。

 これでこの夏の遍路日記は(もうネタもないし)終了となります。こんな堅苦しくてつまらない日記を読んで四国八十八ヵ所に関心をもってくれるような人はいないとは思うけど、同じようにわんこ連れでお遍路しようという人にとって多少は参考になることを祈ります■

by fibich | 2015-08-22 20:35 | 旅の話 | Comments(0)

遍路日記2015夏 伊予札所紹介④

 この夏の伊予一国打ち遍路旅で打った札所。今回は小松・西条の札所を紹介します。小松は今治から南に20キロほど離れた町。今でこそ西条市の一部になっているが平成大合併の前は小松町という町だった。地元の小松高校が去年の夏の甲子園の愛媛代表で出場もしている。

【札所60番 横峯寺】
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 ここからは小松の札所が始まる。と言ってもその最初はこんな山の中と言いたくなるような札所の60番横峰寺。今から30年ほど前は車遍路も麓に車を置いて歩かねばならないお遍路ころがしが残っていた。今でもここに到達するにはそれ相当の苦労は覚悟のうえである。というのも位置から言えば石鎚山の中腹だ。ルートは車やバイクの場合、西条の近くから石鎚登山道に入り、途中から平沢林道へルートを変える必要がある。険しい山道を突き進んでやっと到着する場所が駐車場、さらにそこから下っていかなければ境内に入れないのだからよほど適当な場所がなかったのだなと思わないといけない。

 このお寺の縁起に登場するのは役小角(えんのおづの:奈良時代の呪術者で修験道の開祖)で、小角が石鎚山で修業をしていた時に現れた蔵王権現をシャクナゲの木で彫り、それをお堂に安置したものが始まり。後に行基菩薩も弘法大師も入山し、特に弘法大師はこの地で大日如来を彫ってそれが本尊となる。山号は石鉄山と書いて「いしづちさん」と読む。

 明治時代に廃仏毀釈(仏教を廃絶し出家者だけが受ける恩恵をなくし、神道の習慣をよく似ている仏教のそれから切り離して浄化させる考えや運動、明治元年に法律により施行された)の流れで廃寺となるが、のちに大峰寺という名で復興、廃寺から38年後ようやく横峰寺の寺号が復活する。

 数年かけて方丈を立て直していたがそれもすっかり終了し、現在は大師堂の奥にさらにもう一つお堂を作っている真最中だった。

【札所61番 香園寺】
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 本編では一度昔の姿を見てみたいと書いた香園寺、場所は伊予小松の国道沿いにある。現在は巨大なお堂が立っているが、その入り口に昔の面影があり、入口をぬけると右側にお堂が並んでいた。

 このお寺は聖徳太子が開基したお寺で、のちに行基菩薩や弘法大師も巡錫している。一時期は奈良の高鴨神社の別当寺になっていた時代もあったらしい。まさか聖徳太子も自分が開いたお寺が後の世にこんな巨大なお堂を持つ寺になるとは思わなかったであろう。

 このお寺でのお参りの仕方は日記でも書いたとおりだ。中には最初から中に入って本尊と大師を中で打つという人もいるらしい。もちろんこんなお参りの仕方をするお寺もこの寺だけである。自分の知っている限り靴を脱いでお参りするのはこのお寺のほかに71番弥谷寺の大師堂、1番霊山寺の納経所、今は違うが一時期58番仙遊寺の納経所もそうだった。

【札所62番 宝寿寺】
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 日記でも書いた通りこの寺は荒廃の一途をたどり始めた気がしてならない。場所は伊予小松駅のすぐ隣にある。

 この寺の縁起は聖武天皇の勅令で建立され、金剛宝寺と命名された。後に弘法大師が本尊である十一面観音像を彫り、宝寿寺と改名した。17世紀になり現在地の付近に移されて再興するが、その後大正時代に予讃線工事に伴い現在地へと移転。

 このお寺に関しては日記でも書いた通りあまりいい印象を受けていない。少なくとも事実を知れば知るほど、また個人的にもこの寺を訪れれば訪れるだけ寂しく感じてならない。それはこの寺が霊場会から脱会したから云々ではない。今後の再興を待つよりほかない。

 このお寺には二か所の駐車場があり、無料で利用できる。本尊は弘法大師が彫った十一面観音で、この観音像は光明皇后を模したものと言われている。

【札所63番 吉祥寺】
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 札所62番宝寿寺と同じ国道沿いにある。距離は1.4キロほど。宝寿寺もそうだがこちらのお寺も典型的な町寺だ。前回来た時に民間駐車場に車を止めねばならず、今回は近くにできたショッピングモールに車を止めて歩いて行った。

 この寺は弘法大師が光を放つ檜の木から毘沙門天、吉祥天など3体の像を刻み安置をしたのが始まり。その後戦火に追われて今の場所に移転、再建され現在に至っている。

 ご本尊は毘沙門天、四国88か所中毘沙門天をご本尊に持つ寺はこの寺だけである。境内には日記でも書いた祈願石という甌穴石があり、自分の杖を試すお遍路さんが大勢やって来る。

【札所64番 前神寺】
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 場所は西条市内、国道からちょっと奥まった旧道沿いにある。山門の前に駐車場があり墓地を通り過ぎると境内に入る。

 寺の縁起は横峯寺と同じ役小角が見た蔵王権現に始まる。病気併願を祈った桓武天皇により伽藍が整えられ、金色院前神寺となる。その後も歴代天皇の信仰が厚い寺だった。その頃は横峰寺と同じで石鎚山の神、石鎚権化の別当寺だった。(わかりやすく書けば石鎚山という神を下から眺めるお寺だった。神仏習合が当然の時代、神社、神が寺を持つことも当然でそういう寺のことを別当寺と呼んでいた。前神寺と横峰寺は同じ石鎚山の別当寺だったのだ。(この二つの寺の山号は「石鉄山(いしづちさん)」である。)やがて石鎚山の中腹にも前神寺ができ、現在の前神寺を「里前神寺」、山中の前神寺は「奥前神寺」と呼ばれるようになる。

 明治時代に入ると神仏分離令により里寺も奥寺も廃寺になる。神社部がその後石鎚神社になるが、およそ20年後に復興し現在に至る。こんな風にかつての札所は実は部分的に神社でしたということが明治時代以前にはよくあるケースだったのだ。現在の奥前神寺は前神寺の奥の院となり、ロープウェー石鎚山頂駅の近くにある。

 ここ数年前神寺は墓苑に力を入れているのか、訪れるたびに墓苑が大きくなっていくような印象を受ける。またこのお寺の見どころである御滝行場不動尊がすっかり真っ赤になってしまってなんとも見るに忍びない。

 ご本尊は役小角が彫ったと言われている阿弥陀如来。

 この小松・西条の札所が終わると伊予はほとんど終わったも同然で残すは三島にある三角寺だけとなるが、それはまた次回ということで。

 小松にはまだ旧讃岐街道があり、小松の古い町並みは国道沿いよりは旧道沿いにある。国道は車が通るところ、旧道も車は来るが人や自転車が行き交うのが似合っている。その国道沿いには前回はなかった大きなショッピングモールができていた。僕が最初にここに来た時にはローソンができたばかりの頃で、その時そのローソンも周囲からはやや浮いて見えたものだが、今となってはすっかり馴染んでいる。時の移り変わりとともに古い町並みはだんだんと姿を変えていく。旧街道沿いはそんな場所と比べると時間が止まったかのようにも感じられる■

by fibich | 2015-08-21 22:44 | 旅の話 | Comments(0)

遍路日記2015夏 伊予札所紹介③

 この夏の伊予一国打ち遍路日記、今回打った札所の今日は今治の札所の紹介を各寺の手水場の写真とともに紹介します。 内容はちょっとお堅くて止まらないという方は写真だけでもお楽しみください。

【札所54番 延命寺】
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 場所は今治市の南部。国道196号線から県道38号線に分かれた先にある。山門前の駐車場には大型バスも止められるスペースがあり、駐車場にトイレもある。

 このお寺は特徴のある寺で、山門を通ると真正面に本堂がある。本堂までの左側には方丈があり、納経所とお土産屋がある。右側には手水場。本堂前の階段を上がり詰めると大師堂がある。現在本堂は改修工事中で本尊の不動明王はお土産屋のある方丈に移されている。なので今回は本堂は全く見られなかったし、お土産屋での買い物やそば茶のお接待も受けられなかった。

 このお寺は聖武天皇の勅令で行基菩薩が不動明王を彫り堂宇を建立して開基された。後に弘法大師が嵯峨天皇の命を受けて再興させ、圓明寺という寺号を受けた。(その頃の53番札所圓明寺は「圓明密寺」という名前だった。)53番札所が圓明寺と寺号を変えると紛らわしくなり、明治時代に俗称である延命寺をそのまま寺号とした。

 本尊は行基菩薩が彫った不動明王。駐車場は有料で100円を納経所に納める。昼間のうちは影がなく、夏場はトイレ向かいの木の下に2台ほど日影がある。境内にあるお土産屋はそう勝手に呼んでいるだけで納経所がお札やお守りを売っているその規模がやや大きくなったものだと考えられる。ここで般若心経の手ぬぐいを買ったこともある。

【札所55番 南光坊】
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 今治駅から近く、市街のど真ん中にある。広い境内は車でも乗り入れることができ、木が少ないので夏場は逃げ場もない。「坊」という名前やほかの寺では見られないご本尊の名前など、どことなくこのお寺は他とは違っている印象を受ける。

 この寺は元はというと大三島にある大山祇神社(おおやまづきじんじゃ)の別当寺として建立された寺の一つである。後に今の場所へと遷移された八坊の一つ、南光坊を弘法大師が霊場の札所として定める。その後戦火で八坊はすべて消失するも、南光坊だけは再興された。

 明治時代に入り神仏分離されると大山祇神社の本殿にあった本地仏である大通智勝(だいつうちしょう)如来が南光坊へと遷座され、南光坊の本尊となる。そんな理由があってもともとは八百万の神々の一部が如来であるという本地垂迹(ほんちすいじゃく・日本の神々ももとは仏教の如来や菩薩がルーツであるという思想)に基づきここの本尊は大通智勝如来という名前になっている。

 ところが太平洋戦争の際の今治空襲で金毘羅堂と大師堂以外は悉く消失してしまい、戦後徐々に復興していった。本堂は1981年に、薬師堂は1991年に、1998には山門が、そして2010年に大師堂が改修されている…ってことは古い大師堂も見ているということになるのかな。

 このお寺の納経所には田中さんというちょっとした有名人がいらして、自分の押した御朱印を見て以前にもお参りに来たお遍路さんを思い出す人がいる。時間があると色紙を書いてくれたりとなかなか思い出に残る応対をしてくださる。我が家のわんこのことも覚えていてくださっていた。ちなみに僕の納経張の南光坊の御朱印はひとつ上下逆に押されているものがあり、これはとても珍しいと田中さんは仰っていた。

【札所56番 泰山寺】
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 場所は今治の町からちょっと外れてだいぶ落ち着いた雰囲気のある場所。この地を訪れた弘法大師が村人に治水工事を行わせ、土砂加持の法要を行っていた時に延命地蔵菩薩が現れたことから弘法大師自らが地蔵菩薩像を彫り堂宇を建てて本尊を祀ったのがこのお寺の始まりと言われている。

 そんなわけでこのお寺はご本尊が地蔵菩薩、ほかの札所と違って弘法大師自らが開基した寺でもある。

 近くの道沿いに大きな駐車場があるが有料。他に車を止める場所もないのでたいていの人はこの駐車場を利用する。他に取り分けて特徴があるお寺でもなく、個人的にも打ち始めや打ち止めになったこともないが、今回の旅では境内でクレジットカードを落とし、それがちゃんと出てきたこともあって忘れられない場所ではある。

【札所57番 栄福寺】
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 場所は今治の中心からは南に少し離れたところ。最後の最後に長い坂をのぼるので印象深い。またこの辺りには車を止めるところもなくかつては近くの道路に観光バスがたくさん止まっていたものだがこのお寺にも大きな駐車場がいつの間にかできていた。

 このお寺は海難防止のために嵯峨天皇が弘法大師に命じて開基した寺だ。その後にさらに高い場所に石清水八幡宮が創建される。明治時代に神仏分離令が下ると八幡宮からは分離され、今の地に移されたという。

 僕がバイク遍路をしていた時はまだこのお寺に直に乗り付けても何のお咎めもなかった時代だった。鐘をついて納経所の前を通り本堂まで続く階段を見ると何とも言えずホッとしたもので、さらに大師堂も打ち終えて石段の上から納経所を眺めてもやっぱりホッとしたものだ。雰囲気は町寺だがどことなくここまで来たと言う気分になる。

 本尊は阿弥陀如来。今回はこの寺で打ち止め、この寺での打ち止めは2回目だった。

【札所58番 仙遊寺】
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 雰囲気は57番の栄福寺となんとなく似てなくもないのだが、こちらは本当に高いところにある山寺だ。麓にある仙遊寺入口から延々と山道を登って行く印象がある。山門もそんな山道の途中にある。最後はお寺まで道路をつないだ様で道路管理費が駐車場料金に上乗せされ、ほかのお寺よりも駐車料金は高めに感じる。

 天智天皇が伊予太守に命じて堂宇が建立されたという言い伝えがある。寺号はこのお寺の伽藍を長年整備していた仙人がある日突然遊びに出たっきり帰ってこなかったからという話だが本当かどうかはわからない。その伽藍を復興したのが弘法大師で、大師が逗留中に井戸を掘ったと言われている。その後廃れてしまったが明治時代になって復興を遂げている。現在では宿坊(温泉付き)もあり毎年夏には4万6千日を前に盛り上がりを見せる。
 ご本尊は千手観音。この千手観音も空から現れた龍女が一刀三礼で彫ったものだという言い伝えがある。

【札所59番 伊予国分寺】
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 ここでようやく国分寺の登場である。その国の打ち始めから国分寺が登場するのはどこの国も(土佐を除いて)遅いものだが、伊予は20番目にしてようやく真打登場という感じだ。(ちなみに阿波と讃岐は15番目、土佐はもとから札所が少ないので6番目)。お遍路も何度目かになると国分寺の存在について改めて考えてしまうものである。54番から始まる今治の札所はここで終わり。

 このお寺の縁起はそんなわけで聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つ。この寺はそんな国分寺の中でも行基菩薩が勅命を受けて開基した。後に弘法大師が長期にわたり逗留して五大明王像を立てている。
 
 その後は戦火に焼けよその国分寺と同じ運命を辿る中、伊予の信仰の中心地として何とか荒れ果ててしまわずに済んだ、そんな記録を残した古文書が焼けずに残っていた。

 このお寺も典型的な町寺、しかも木が少ないために夏場は逃げ場所に困ってしまう。今回手水場が変わっていてびっくりしたが完成は2014年。ボタンを押すと水が出て、真ん中に薬師の壺がある。

 ご本尊は薬師如来(厳密には薬師瑠璃光如来)。駐車場が以前はちょっと遠いと不評だったが今は階段下に大きな駐車場ができている。来る度にちょっとずつ姿を変えている。

 この国分寺を打ち終えると今治を離れて小松の札所へとまた移動をする。バイク時代は今治から小松までの移動もちょっと時間がかかったが、今では有料道路が開通して小松までの時間はぐんと短くなっただろう。次回は小松・西条の五ヶ寺を紹介します■

by fibich | 2015-08-20 22:35 | 旅の話 | Comments(0)

詩と写真の日記
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