ブログトップ | ログイン

幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

巡礼して

今回3回目の結願を終えてこの旅で感じたことを書きたいと思う。
尤も今年の旅行記は簡単にすませようとは思っているのだが。

今年の正月、婚約者と一緒に26ヵ寺打っているのでそれを
カウントするかどうか随分と迷ったが、結果として3周目が
まだ62残り、4周目は結願という事にする。納経帳には
当然だが26ヵ寺は御朱印が4つになっていて、次は5つめの
御朱印が押されることになる(来年夏もし行けたら)
一方残りの62ヵ寺はまだ御朱印が3つしかない。非常に中途半端な
状態だが、これは婚約者(今年結婚はするが)と一緒に打つ分で
別にしておく。

これで来年もし正月に寺を打ちに行く時は3周目の続き。来年夏に
寺を打つ時は5周目でいよいよ青札を納め札にすることになる。

一昨年から見て一番感じたことは正統派のお遍路さんが随分と
減ってきたことだ。ここで言う正統派とはお寺で本堂、大師堂の
それぞれで読経をする(お参りをする)人のこと。装束を着た
人も少なくなったが装束を着ていなくてもお参りをする人はいる。
一番目についたのがただ寺にやってきて簡単に本堂にだけ手を合わせ
すぐに納経所へ行って御朱印をもらう人が多かったこと。
八十八か所巡礼をスタンプラリーと勘違いしているのか、そういう
人がやたらと目についた。お参りもせずに御朱印だけ集める人は
何を考えているのだろう。お参りした証にもらう御朱印だけを
集めるのは本末転倒のような気がする。

バイクの遍路も減ったような気がした。ガソリン代の高騰なども
考えられるし、僕が逆打ちをしていたということもあるのだろう
けど、それにしても少なすぎるように思える。

そして毎年賛否両方の意見を書く団体様御一行。今年も大勢いた。
何ヵ寺で襲われた。得てしてご老人が多いのだが、団体様の中に
比較的若い人も見受けられた。

基本的には彼らはお参りが目的だ。先達の指導の下しっかりと
お参りをする。しかしその前後はただの観光客である。境内で
騒いだり広がって歩いたり。階段だって左側を守らない。
長い石段を上がっている時団体様と出くわすとまずは脇に
逸れないとすれ違えない。ちょっとした心がけで何とでも
回避できるようなことには気付かないのだ。団体様の善し悪しは
先達様によって変わってくる。先達の人たちは多少嫌われ役に
なっても巡礼をしているという意識付けを自分の客にしっかりと
してもらいたいものだ。

先にも書いたが御朱印集めがメインの人が目についた。本末転倒だと
書いたがそれでも八十八か所全て回るのは容易なことではない。
僕は簡単に彼らのことを「俗物遍路」と呼んでいたがその度
そんな呼び方はすべきでないなと思いながらも彼らの行動を
見るとどうしてもそう思いたくなってしまう。
もっと極端な者もいて、車で入れない場所まで乗り付け、自分の
子分に掛け軸をたくさん持たせてお参りもせず車で待機している
輩もいた。これはもう俗物なんてものではなく「餓鬼遍路」と
言ってもいい。

もう一つこれまで書かなかったが巡礼を初めてすぐに他人の
金、銀、錦札を納札箱から盗む者も目撃した。止めさせたが
すでに八十六番での事、順打ちで回っていたのであれば
さぞかし収穫もあったであろう。こんな奴まで見かけるくらい
遍路にはいろんな人がいるなと気付かされた。

言わせてもらうが、他人の願いが託されている納め札をその色が
金色や銀色だからといって盗んでいくような奴は神も仏も
懼れない怖い者知らずにも程がある。まさに釈迦を知らない
「莫迦」である。そしてこの字はずばり「バカ」と読む。十年に一度
見るか見ないかのバカに出くわしただけでも不快に感じる。

そして確実に各札所で納め札を盗まないようにと貼り紙が
貼られているのを見ると情けないなと思うばかりだ。
そんなに金銀錦札が欲しかったら遍路用品店で売ってるから
そこで買えばいいのに。確か100枚で500円くらいで
売られているはずだ。

この「札泥棒」っていうのは最近の八十八か所では深刻な問題
なのだろう。遍路十戒にも「不偸盗」という言葉があるのに
そんな十戒も知らないと言うか守れない輩もいるのだ。

あとは些細なことなのだがそれぞれのお寺にある「杖立」が
減ったような気がする。本堂や大師堂の燭台の近くにはたいてい
杖立があるのだが、それがなくてあれあれと思った場所がカ所
あった。

これはただの推測なのだが、杖立があるとそこに杖を立てる。
立てたまま忘れて次に行ってしまう人が多いので最初から
立てさせないようにしているのかなとも思うのだが。それだけ
あわてん坊のお遍路さんが多いのかも知れない。

杖と言えば杖を持ってお遍路をする人も少なくなったように
思える。僕は形にこだわるので杖は大切にしていた。遍路の
杖はお大師様の化身で必ず持っていなければいけない。
杖をつくお遍路は常に弘法と一緒、だから遍路は「同行二人」と
言うのである。杖がなかったら同行二人とは言わない。

でもこれにも考えあって、僕のように杖に細工でもしない限り
バイクでお遍路やっていると杖は大荷物だ。持ち方によっては
危険でもある。現代のお遍路さんには杖はもはや不要な場合も
あるのかも知れない。持ち慣れない物を持って巡礼をするから
境内で杖を置き忘れてしまうということもあるのだろう。
ただ、杖があると階段の上り下りはかなり楽になるんだけどね。
できたら杖は持って巡礼をすることを勧める。

もう一つ、札所の数カ所で改装をしていたが、これが長い場合が多い。
特に十二番、六十番、六十六番は場所も高いところにあるので
なかなか終わらず今年もまた残念な思いをした。今後も各札所で
改装が始まると思える。改装は終わればまた美しい伽藍が楽しめる
のだが、その途中はなんとも残念な気持ちになってしまう。
今年は八十七番がほとんど終わって見事な本堂ができあがっていた。
他にも七十四番も改装が終了していた。

一方先ほど書いた十二,六十、六十六番の他にも六十二番、六十三番も
まだ改装中だった。

改装中のお寺がきれいになったところを見るのも楽しみである。
他にもいろいろとお寺を打ちながら考えたものである。
こうしてしんどい目をしながらもあれこれと考える機会が得られたことは
とても良いことだと思っている。
by fibich | 2008-08-15 02:32 | ライダー日記

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31