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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

WALKERS終了

以前もちょっと紹介しましたNHKの土曜ドラマ、WALKERS。終了しました。
初回が「発心」、2回目が「修行」だったので3,4回目は「菩提」と「涅槃」かと
思いきや3回目は「目覚め」、そして最終回は「結願(けちがん)」でありました。

で、感想なんですが。イマイチでありました。やっぱり巡礼を一度やった人間
から見たら、たとえ歩きではなくてもこのドラマはおかしいと思った次第です。
自分は歩きで巡礼をしたわけではありませんので歩き遍路についてあれこれ
いう事はできませんが、通常最後の最後までずっと一緒に旅を続けるということは
ないでしょう。特にこのドラマでは若い人から年配者までが毎晩同じ宿に泊まり、
同じ道を歩くってのは考えがたいです。それとも歩きってのはそういった旅は
道連れという気持ちが強くなるものなのですかね。

次に話の内容だけど、非常に俗っぽい。もっと遍路には深遠なテーマが
あっていいような物を、非常に簡単な俗っぽい内容で片付いちゃいました。
それが僕にとっては腑に落ちない。これじゃまるで四国八十八カ所そのものが
巨大なラブワゴンか何かにしかなっていない。なんでストーリーにもだいぶ
ガッカリさせられました。こんな程度のドラマだったらなにもお遍路を大々的に
取り上げなくても作れるだろうよと思いました。

つっこみどころもいろいろあります。
まずこのドラマには大先達がおります。つまり道中遍路の道案内をしたり
お参り作法だの何だのといろいろと教えてくれる頼りがいのある人物です。
遍路のマナーには食事の時に輪袈裟をはずすというものがあります。輪袈裟は
略式の法衣ですから、食事の時にははずすのです。しかしこのドラマでは
大先達でさえも輪袈裟をはずしてませんでした。遍路のマナーという面で
目立つ矛盾は他にもありましたが、その最たる例だったと思います。

次に遍路には十善戒というのがあるのですが、それが全くドラマには
登場しませんででした。これもどうかと思います。

また登場人物全員が経本なしに読経をするシーンがあります。大先達坂田と
寺の息子徳久はできるとしても他のものは経本なしで般若心経を唱えるのは
ちと不自然かと思います。

もう一つ逆打ちを始めた主人公徳久の両親が八十八番大窪寺で登場しますが
遍路支度は一番霊山寺のものでした。これはさすがに遍路した人じゃないと
気づかないです。

話の内容にも矛盾があります。余命幾許の徳久の父は医者に読経までも
禁じられていたのに最終回では遍路に出ます。これはいくら何でも無理
でしょう。

息子が引きこもりという進藤夫妻、八十八番寺で息子が迎えに来るという
話になっていたのにその後がわからずじまい。これはさすがにマズイでしょう。
この話はドラマの中でもかなり重要なファクターだったんだし、最後がどう
なったのかはっきりさせるべきでした。

主人公徳久が一番霊山寺で先達の坂田に寺の倅だということを見抜かれる
シーンがありますが、その時に徳久の家の寺の名前を聞いて「知らん」と
言っているのに、八十八番大窪寺で遍路の写真を撮っていると先達坂田が
白状した際、一人目が徳久の父だったと言い出します。これもウソついている
にしてはあまりに不自然だと思いました。

とまあ、つっこめばまだまだいくらでも出てきそうなのですが、かなりつらい
ロケだったようですし、実際何カ所か遍路ころがしまで歩いているようですので
そんなにつっこみばかり入れてもしょうがないと思う次第です。
話に違和感を感じながらもああやっぱり遍路はいいものだなとも再確認
できたことですし、このドラマは見て良かったと思う面もあります。

これを見て遍路ってのは大概異性について、結婚観や結婚後のあり方、
出会いなどばかり考えている物だと思われたらちょっと嫌だなと思った程度。

しかし一番気になることがまだあります。それは十二番焼山寺にいた
遍路姿の細野晴臣がその後どうなったのか、これは気になる。どうなったのだろう。
音楽はなんとも暖かみを感じてとても良かったです。往年のノマドレーベル
作品(細野氏が80~90年代にテイチクで活動していたときの「観光音楽」)
を思い出しました。
by fibich | 2006-12-06 00:43 | 日常の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
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