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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

凋落する北海道①

もう随分昔の話。一時期真剣に北海道移住を考えていた事があった。その頃北海道にはほぼ毎年、というか年に二度行く事もあったし、夏ともなれば1ヶ月以上滞在していたものだった。

少なくともその頃の北海道は魅力的だったし、どんな地方に行ってもその場所なりに町や村は成り立っていた。過疎化の問題は確かにあったがそれほど深刻とも思えなかったし、確かに鉄道はあれよあれよという間に営業路線が減っていったが廃止されてもバスの代替運行が行われていた。そんなひと昔の北海道は憧れでもあった。

それがいつからなのか、北海道は札幌ばかりが賑わい、これまで何度となく訪れた地方都市は衰退の一途を辿っているように感じられた。ひと頃の心地よい寂寥感は絶対的な絶望感と諦念に代わり、それまでになかった余裕のなさを肌で感じるようになって来た。

札幌からほど近いはずの苫小牧や室蘭でさえスカスカ感があった。鉄道がなくなってから久しい幌加内町は行くたびに人気の無くなった集落が増えたような気がしてならない。

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◆音威子府駅前

ローカル線の運行本数は確実に減り、日に2、3本しか列車が停車しなくなった駅は傷みも目立ち、集落の中心だった駅は集落がなくなり人の気配も消えてしまった。あとはそこに駅舎だけが集落の記憶として残されている。そんな場所を幾つとなく見てきた。

北海道は確実に衰退の一途を辿っている。末端に血が行き届かずやせ細って行くばかりに思える。

そう感じるようになってからすでに10年以上の時が流れている。その一方で札幌だけは変わらないどころか大きくなっている。

「試される大地」はもうすでに過去のお話、現実は「死を待つ大地」と言っても過言ではないだろう。それまでちょっとこの辺りは人がいなくて寂しいところだとしか感じられなかった場所はいつしか人の生活を維持する事さえ困難な限界集落にまでなっていた。商店がなくなり、行政の窓口は町村の統廃合で集中し、窓口が遠くなった集落はもちろんの事、町村の中心であるべき場所でさえも凋落ぶりが気にかかる。

新幹線が南のほんの端の方に引っかかったように延伸されて浮かれている一方では利用客がいなくなった駅が廃止の憂き目に遭っている。駅がなくなればその集落はなくなる。こうしてまた将来の希望を絶たれた集落が確実に増える。

こんな北海道に誰がしたのか、そこに誰かの功罪は問えるものではないのだろうが、誰のせいでもない必然性があったのだとしたら北海道はその必然性を認識して来るべき結果を受け入れようと覚悟していたとしか思えない。もしかしたらそんな必然性を目の前にしてもがき苦しみながら色々と策を講じてはみたもののどうにもならなかったのかも知れない。

今の北海道の現状を、本当に道民は望んでいたのだろうか。また、日本の国民はどれほど北海道に関心があったのだろうか。

あれほどまでに足を運んだ北海道にもう8年行っていない。10年前から感じていた予感が的中した様を目の当たりにするのは堪え難い。「試され尽くした」大地がもう「試しようもない」ものになってしまったと知らされるのが怖いのだ。

北海道新幹線の開通でちょっと改めて北海道の事を考えたのでここに書いておこうと思う。道民の友人でこのブログをご覧になっている方にはかなり腹立たしい内容になるかと思うけど敢えて北海道の現実がこのように僕の目には映るという事は書いておきたい。わんこばかりがこのブログでは目立つのでたまにはいい機会かも知れない◾︎
by fibich | 2016-03-29 00:14 | 日常の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
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