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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

遍路日記2015夏 伊予札所紹介③

 この夏の伊予一国打ち遍路日記、今回打った札所の今日は今治の札所の紹介を各寺の手水場の写真とともに紹介します。 内容はちょっとお堅くて止まらないという方は写真だけでもお楽しみください。

【札所54番 延命寺】
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 場所は今治市の南部。国道196号線から県道38号線に分かれた先にある。山門前の駐車場には大型バスも止められるスペースがあり、駐車場にトイレもある。

 このお寺は特徴のある寺で、山門を通ると真正面に本堂がある。本堂までの左側には方丈があり、納経所とお土産屋がある。右側には手水場。本堂前の階段を上がり詰めると大師堂がある。現在本堂は改修工事中で本尊の不動明王はお土産屋のある方丈に移されている。なので今回は本堂は全く見られなかったし、お土産屋での買い物やそば茶のお接待も受けられなかった。

 このお寺は聖武天皇の勅令で行基菩薩が不動明王を彫り堂宇を建立して開基された。後に弘法大師が嵯峨天皇の命を受けて再興させ、圓明寺という寺号を受けた。(その頃の53番札所圓明寺は「圓明密寺」という名前だった。)53番札所が圓明寺と寺号を変えると紛らわしくなり、明治時代に俗称である延命寺をそのまま寺号とした。

 本尊は行基菩薩が彫った不動明王。駐車場は有料で100円を納経所に納める。昼間のうちは影がなく、夏場はトイレ向かいの木の下に2台ほど日影がある。境内にあるお土産屋はそう勝手に呼んでいるだけで納経所がお札やお守りを売っているその規模がやや大きくなったものだと考えられる。ここで般若心経の手ぬぐいを買ったこともある。

【札所55番 南光坊】
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 今治駅から近く、市街のど真ん中にある。広い境内は車でも乗り入れることができ、木が少ないので夏場は逃げ場もない。「坊」という名前やほかの寺では見られないご本尊の名前など、どことなくこのお寺は他とは違っている印象を受ける。

 この寺は元はというと大三島にある大山祇神社(おおやまづきじんじゃ)の別当寺として建立された寺の一つである。後に今の場所へと遷移された八坊の一つ、南光坊を弘法大師が霊場の札所として定める。その後戦火で八坊はすべて消失するも、南光坊だけは再興された。

 明治時代に入り神仏分離されると大山祇神社の本殿にあった本地仏である大通智勝(だいつうちしょう)如来が南光坊へと遷座され、南光坊の本尊となる。そんな理由があってもともとは八百万の神々の一部が如来であるという本地垂迹(ほんちすいじゃく・日本の神々ももとは仏教の如来や菩薩がルーツであるという思想)に基づきここの本尊は大通智勝如来という名前になっている。

 ところが太平洋戦争の際の今治空襲で金毘羅堂と大師堂以外は悉く消失してしまい、戦後徐々に復興していった。本堂は1981年に、薬師堂は1991年に、1998には山門が、そして2010年に大師堂が改修されている…ってことは古い大師堂も見ているということになるのかな。

 このお寺の納経所には田中さんというちょっとした有名人がいらして、自分の押した御朱印を見て以前にもお参りに来たお遍路さんを思い出す人がいる。時間があると色紙を書いてくれたりとなかなか思い出に残る応対をしてくださる。我が家のわんこのことも覚えていてくださっていた。ちなみに僕の納経張の南光坊の御朱印はひとつ上下逆に押されているものがあり、これはとても珍しいと田中さんは仰っていた。

【札所56番 泰山寺】
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 場所は今治の町からちょっと外れてだいぶ落ち着いた雰囲気のある場所。この地を訪れた弘法大師が村人に治水工事を行わせ、土砂加持の法要を行っていた時に延命地蔵菩薩が現れたことから弘法大師自らが地蔵菩薩像を彫り堂宇を建てて本尊を祀ったのがこのお寺の始まりと言われている。

 そんなわけでこのお寺はご本尊が地蔵菩薩、ほかの札所と違って弘法大師自らが開基した寺でもある。

 近くの道沿いに大きな駐車場があるが有料。他に車を止める場所もないのでたいていの人はこの駐車場を利用する。他に取り分けて特徴があるお寺でもなく、個人的にも打ち始めや打ち止めになったこともないが、今回の旅では境内でクレジットカードを落とし、それがちゃんと出てきたこともあって忘れられない場所ではある。

【札所57番 栄福寺】
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 場所は今治の中心からは南に少し離れたところ。最後の最後に長い坂をのぼるので印象深い。またこの辺りには車を止めるところもなくかつては近くの道路に観光バスがたくさん止まっていたものだがこのお寺にも大きな駐車場がいつの間にかできていた。

 このお寺は海難防止のために嵯峨天皇が弘法大師に命じて開基した寺だ。その後にさらに高い場所に石清水八幡宮が創建される。明治時代に神仏分離令が下ると八幡宮からは分離され、今の地に移されたという。

 僕がバイク遍路をしていた時はまだこのお寺に直に乗り付けても何のお咎めもなかった時代だった。鐘をついて納経所の前を通り本堂まで続く階段を見ると何とも言えずホッとしたもので、さらに大師堂も打ち終えて石段の上から納経所を眺めてもやっぱりホッとしたものだ。雰囲気は町寺だがどことなくここまで来たと言う気分になる。

 本尊は阿弥陀如来。今回はこの寺で打ち止め、この寺での打ち止めは2回目だった。

【札所58番 仙遊寺】
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 雰囲気は57番の栄福寺となんとなく似てなくもないのだが、こちらは本当に高いところにある山寺だ。麓にある仙遊寺入口から延々と山道を登って行く印象がある。山門もそんな山道の途中にある。最後はお寺まで道路をつないだ様で道路管理費が駐車場料金に上乗せされ、ほかのお寺よりも駐車料金は高めに感じる。

 天智天皇が伊予太守に命じて堂宇が建立されたという言い伝えがある。寺号はこのお寺の伽藍を長年整備していた仙人がある日突然遊びに出たっきり帰ってこなかったからという話だが本当かどうかはわからない。その伽藍を復興したのが弘法大師で、大師が逗留中に井戸を掘ったと言われている。その後廃れてしまったが明治時代になって復興を遂げている。現在では宿坊(温泉付き)もあり毎年夏には4万6千日を前に盛り上がりを見せる。
 ご本尊は千手観音。この千手観音も空から現れた龍女が一刀三礼で彫ったものだという言い伝えがある。

【札所59番 伊予国分寺】
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 ここでようやく国分寺の登場である。その国の打ち始めから国分寺が登場するのはどこの国も(土佐を除いて)遅いものだが、伊予は20番目にしてようやく真打登場という感じだ。(ちなみに阿波と讃岐は15番目、土佐はもとから札所が少ないので6番目)。お遍路も何度目かになると国分寺の存在について改めて考えてしまうものである。54番から始まる今治の札所はここで終わり。

 このお寺の縁起はそんなわけで聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つ。この寺はそんな国分寺の中でも行基菩薩が勅命を受けて開基した。後に弘法大師が長期にわたり逗留して五大明王像を立てている。
 
 その後は戦火に焼けよその国分寺と同じ運命を辿る中、伊予の信仰の中心地として何とか荒れ果ててしまわずに済んだ、そんな記録を残した古文書が焼けずに残っていた。

 このお寺も典型的な町寺、しかも木が少ないために夏場は逃げ場所に困ってしまう。今回手水場が変わっていてびっくりしたが完成は2014年。ボタンを押すと水が出て、真ん中に薬師の壺がある。

 ご本尊は薬師如来(厳密には薬師瑠璃光如来)。駐車場が以前はちょっと遠いと不評だったが今は階段下に大きな駐車場ができている。来る度にちょっとずつ姿を変えている。

 この国分寺を打ち終えると今治を離れて小松の札所へとまた移動をする。バイク時代は今治から小松までの移動もちょっと時間がかかったが、今では有料道路が開通して小松までの時間はぐんと短くなっただろう。次回は小松・西条の五ヶ寺を紹介します■

by fibich | 2015-08-20 22:35 | 旅の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
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