a0004070_19490519.jpg
【2017年5月4・5日(木・金)】

 夕方に宮古を出発して遠野を目指した。と言っても宮古と遠野は同じ岩手県というだけで全く近くはない。まずは国道45号線を南下して山田・大槌・釜石へと走り、そこから花巻方面に向かって走る。いうのは簡単だが長い道のりだ。釜石からは国道283号線に入る。これはかつて仙人峠越えと言われていた場所だが、いつしか仙人峠には長いトンネルが開通していてこれがまたまっすぐ過ぎて眠たくなる。というかとにかく危険を感じるくらいに眠くなる場所だった。

 こうして夜も8時過ぎくらいになってようやく遠野に到着。まっすぐ宿に向かいすぐに夕食をとる。なんでも遠野はジンギスカンが名物らしく(そんなのは初めて知った)夕飯も贅沢にジンギスカンだった。

 遠野での宿は楽天トラブルでたまたま空きのあった宿。GWを直前にして空いている宿を見つけるのでさえも苦労するのにわんこと一緒に泊まれる宿を探すのは至難の技だ。本当に運良く宿が見つかったと言ってもいいだろう。名前は福山荘というちょっと古めの宿で、わんこと泊まれる部屋は一つだけ。バス・トイレは共用と今時流行らないスタイルだが我が家はこう言った宿でもあまり文句は言わない。泊めてもらえるだけでもありがたいからだ。

 夕食の後わんこを連れて夜の散歩で駅まで歩いてみたが、すでに最終列車は出て行った後のようでしんと静まり返っていた。この遠野という場所はとても言葉では言い表せない雰囲気がはっきりと感じ取れる場所だ。昔旅仲間に遠野を紹介したらすっかりハマってしまったが、その友達曰く「遠野は見る場所ではなく感じる場所だ。」という名言を残している。

a0004070_19490661.jpg
◆駅の近く、大工町の路地裏で

 僕の記憶が定かならこの遠野駅自体も宿泊施設を兼ね備えていたと思う。この一見「そこは何が名物なの、そこに行くと何が見られるの。」と疑問を感じてしまう場所は先述の通り「感じる場所」であって、名だたる名所はほとんど感じる場所といってもいい。見る場所は博物館程度だろうか、あとは千葉家というこの地方独特の曲り家くらいだ。

 簡単に書くが遠野はかつて民俗学者の柳田国男がこの地jに伝わる言い伝えや昔話、民俗、風習などを一冊にした「遠野物語」という本で有名だ。この遠野物語こそが僕の最高の愛読書でいつでも持ち歩いていた時もある。今はiBooksでいつでも読めるようにしてある。このブログでも時々引用するくらい大好きな本で、これまでに50回以上は読んでいる。読むたびに新たな発見がどこかにあり、そのたびにこの地方のみならずはるか一世紀も昔の日本の生活や風習に思いを馳せることができる。とまあそんな本の舞台ともなった場所だ。初めから見る場所ではなく感じる場所というのはそのためである。

 とはいえ自分一人ではなく、遠野は初めてというママを連れて来たこともあってできるだけ見てもわかりやすい場所を選んで限られた時間で遠野を楽しもうと考えていた。まずは駅の周辺をお散歩。ところがその途中で雨が降り始めて来た。この日は一気に家へ戻るつもりでいたので遠野に居られるのは午前中だけだ。

a0004070_19490788.jpg
◆ちょうどこの時期桜が咲いていた
a0004070_19490812.jpg
 宿をチェックアウトするとまずは伝承園へ、この伝承園は遠野地方の民家などの展示から語り部のお話まで遠野の暮らしの基礎をその目で見ることができる。そして何と言ってもここの「ひっつみ」は美味しい。

a0004070_21221203.jpg
a0004070_21221344.jpg
◆伝承園にて

 園内はわんこ連れOK。ただし展示されている建物の中には入れない。しかしながらそれを差し引いてもわんこと一緒に楽しめると思う。

a0004070_21251320.jpg
◆カッパをバックに
a0004070_21251438.jpg
◆ラーレはVIP待遇

 伝承園は入園料を払うとその日1日は何度でも入退場ができるので外に出て近くにあるカッパ淵まで歩いて行くことに。伝承園の前の道路を横切りまっすぐ歩いて行くと常堅時というお寺があり、その裏手にカッパ淵がある。そこまでの間は畑なのだがただの畑ではなくビールの原料になるホップの畑がある。

 また常堅寺にはカッパの言い伝えがあり、横にある淵から失火の際にカッパが現れて頭の皿の水で鎮火をしたことからこの寺の狛犬の頭には皿がある。

a0004070_21251593.jpg
◆常堅寺
 
a0004070_21251645.jpg
◆カッパ淵

 本当だったらのんびりしていきたいところなのだが、時間がないということもあり再び伝承園へ戻り、ちょっと早いが食堂が11時から始まるのでひっつみを食べて次の目的地へ向かった。

 次に行ったところは「遠野物語」からはちょっと離れてしまうが、地元では「トオヌップ展望台」と呼ばれている高清水山展望台へ、狭い山道を迷いながらも延々と走ると高台の牧場に出て、その牧場の端にその展望台はある。ここは昼間も眺めが良いのだが夜景が素晴らしく、眼下に見える夜景は白馬の姿をしている。

a0004070_21480770.jpg
◆トオヌップ展望台から

 ほんのわずかな時間だったが遠野の風景を眺め、麓に降りてコンビニで簡単に食事をすると意を決して出発した。時間は2時近かった。とにかくこれから陸前高田まで出てそこから三陸海岸沿いに南下をし、石巻からは高速に入ってその日のうちでなくてもいいので家に帰らなければならなかった。遠野はあまりに慌ただしすぎてとても感じるということはできなかった。またいずれかのチャンスがあった時にゆっくり感じて楽しみたいと思う■



a0004070_11331441.jpg
【2017年5月4日(木)】

 浄土ヶ浜を離れると再び元来た道を田老方面に向かいちょっと進んだところを右に曲がる。場所の名前は崎山といいちょっとした高台に入る。

 ここから道をまっすぐ行くと名勝でもある潮吹岩があり、ちょっと立ち寄って見たのだがこの日は波穏やかで全くもって潮など吹いていないので早々に引き返す。

 さらに先に行くと休暇村宮古という宿泊施設がある。ここはもともと「国民休暇村」と呼ばれていた施設で、その頃にここで住み込みで働いていたことがあった。休暇村入り口には崎山キャンプ場というものもできていた。休暇村にはちょっと敷地に入った程度で懐かしい建物を見てすぐに出て行った。写真は一枚も撮っていないがそれでいいと思っている。

 休暇村から道は二つに分かれるので右を選んで延々と下り坂を降りる。昔働いていた時には全く何もない場所だったのにところどころ家が建っていてちょっと戸惑いを感じてしまう。おそらく震災した人の一部は二度と津波はごめんだとこんな高台を選んで家を建てたのだろう。

 しばらくすると漁港が見え、そこを左に曲がるとトンネルがある。トンネルを抜けた先が今回の旅行で僕が最も行きたかった場所、中の浜だ。

 この中の浜にはかつて「中の浜野営場」というキャンプ場があり、僕は学生時代そこでひと夏を過ごした。右も左も全くわからない、それこそ全く興味もないキャンプ生活を一ヶ月以上もすれば帰って来る頃にはすっかりアウトドアの基本は叩き込まれてすっかりアウトドア人間になっていた。

a0004070_11331219.jpg
◆キャンプ場のトイレ、震災遺構として保存されている


 このキャンプ場は夏場になると海も近いことから人気があってとても賑わう場所だ。そんな場所も先の大震災による津波で壊滅的な被害を受けた。オフシーズンでここには誰もいなかったのが幸いだっただろう。この場所でさえも高さ15メートル以上の津波がやって来た。

a0004070_11331342.jpg
◆この炊事棟には思い出がある

 震災の後、このキャンプ場がどうなったのかは気が気ではなかった。しばらくしてGoogle Earthで最新の画像が見られた時には愕然とした。全てが破壊されてしまったからだ。

 中の浜野営場は現在「震災メモリアルパーク中の浜」とその名前と役割を変えているが、僕の中ではいつまでもこの場所はキャンプ場だ。だからこの場所に車を止めた時に思わず声が出てしまった。すっかり変わり果てて見たこともないような場所にやって来て、そこから面影を見つける作業で精一杯だった。

 
a0004070_11520675.jpg

 ちょっと散策をしたのち反対側にあるもう一つのトンネルを抜けてみる。そこにはかつて海水浴場があり、その横にある売店でも働いていた。
a0004070_11520715.jpg
 夜になって近くの集落まで(歩いて10分ほど)行き、一番近くにある「前川商店」で缶ビールを二本買ってこの浜辺て寝転びながら好きなだけ星を眺めるのが好きだった。今は砂利が混じってとても砂浜とは言えない状態になってしまった。もちろん売店もない。それだけでなく前川商店も無くなっていた。言葉もなくトンネルを戻って中の浜に帰る。

a0004070_11520823.jpg
◆このあたりのテントサイトは僕が働いていた翌年に整備された

一日岩泉から田老、浄土ヶ浜など名勝に寄ったり美味しいものを食べたりして、最後はようやくこの場所までやって来ることができた。少しばかり日没が早い宮古にもそろそろ夜がやって来る。もうちょっとここにいたいという気持ちと、もうこの場所を離れたいという気持ちが複雑に入り混じる。

a0004070_11574156.jpg
◆駐車場にある一本の木には…

a0004070_12031068.jpg
◆漁業用のブイが引っかかっていた

 十分すぎるくらいに中の浜を見て歩き、そのまま隣にある女遊戸(おなつぺ)の集落に入りそこから国道へ続く道を通って宮古の街へ下って行った。この日の宿は遠野で、どう考えてももう時間には間に合わないのだがそれでも京都の街をさりがたく、道の駅に寄り道をしてから南下を始めた。

 またいつか来ればいい。そうは思っているのだがおそらくもうここに来ることはないだろうとも思っている■

a0004070_18554970.jpg
【2017年5月4日(木)】

 田老から国道を南下して宮古の街に向かう途中に四つのトンネルがある。このトンネルの第1の近くに中の浜というバス停があり、そのあたりを通過するとかつて住み込みで働いていた場所の近くを通るということもあっていよいよ宮古が近いと感じるのだ。ただ現在では田老も宮古市の中に含まれているのであまりそんなことを感じる人も少ないのではないだろうか。

 四つのトンネルを通過してしばらく走ると下り坂を延々と降り続ける。この下り坂の途中に浄土ヶ浜方面へ向かう道がある。かつては有料道路だったのだが今では無料開放されている。

 田老の次に向かったのは宮古屈指の観光地、浄土ヶ浜だ。ここは名前の通り本当に美しい場所で、せっかく三陸に来たのだったら見残すなんてことは考えられない場所でもある。

 連休ということもあって近くの駐車場には車を止められず、かなり離れた場所になんとか車を駐めてそこからまずは駐車場を目指して歩く。

 駐車場も震災後にかなり浜から離れた場所にできていて、そこから先も延々と歩くことになる。階段を下るとすぐに海の近くにまででられるが、そこはまだ浄土ヶ浜とはとても言えない場所。この海沿いの遊歩道は初めて歩く場所だ。
a0004070_18554726.jpg
◆遊歩道を下る下る

a0004070_18554737.jpg
◆遊歩道の途中で

 遊歩道の途中には洞窟探検ボートの船着場もある。浄土ヶ浜の沖にある岩の洞窟に入るツアーがイタリアの青の洞門ツアーと似ているらしく人気があるそうだ。
a0004070_18554849.jpg
◆「青の洞門」ツアーの船着場

 と言ってもこちらにはわんこもいるのでボートに乗ることもできず、ただただ遊歩道を浄土ヶ浜のレストハウス目指して歩く。駐車場の場所からだと遊歩道を歩いて歩いて一番奥まで行ったあたりに浄土ヶ浜のハイライトがあると思うといいだろう。

a0004070_18554873.jpg
◆連休ということもあって人が多い

a0004070_18554938.jpg
◆ウミネコもたくさん飛んでました


 白い浜辺はちょっとゴツゴツとした石の浜辺で、ここは見た目はきれいだが砂浜ではない。それでもこれだけ美しいのだからもう十分だ。ここでわんこを並べて写真をたくさんとる。ところがチャイはウミネコが気になるのか追いかけようとして海の中に飛び込んでしまう始末。

a0004070_18555016.jpg
◆チャイは鳥さん大好き

 その後レストハウスでソフトクリームなどを食べてのんびりと過ごして次の場所へと移動するため再び遊歩道を歩いて車まで戻った。
a0004070_18555146.jpg
◆これはお約束

 学生の頃、宮古で住み込みのバイトをしていた時。こんなに近くにいながら浄土ヶ浜を見たのは宮古を去る時だった。あまりに忍びないのでバイト先の人が車で連れて来てくれたのだった。今年でそれからちょうど30年が経つ。宮古だけでなく三陸にやってくるとどうしても若かった頃の自分が見て感動し、記憶に留めてある時の風景とどうしても比較してしまう。津波で街は大きく変わってしまったが浄土ヶ浜は変わっていなかった。それがちょっとだけ嬉しかった▪️
a0004070_18555193.jpg



a0004070_21522736.jpg

【2017年6月8日(木曜日)】

 このブログをはじめ、写真管理から仕事まで全て僕のPC「エルマ(2011年型Let’s Note/Windows10)」で行なっている。このPCのSSDの容量が残り少なくなって来たので溜まりに溜まっている写真データをブルーレイに焼いて保存する作業をしていた。ブルーレイは外付けのドライブを繋げていたのだが、その状態でWindowsが更新をし、それからというもののまるで廃人のようになってしまった。

 リカバリをかければ一番楽だが、そうするとこれまで使って来たアプリなども消えてしまいそれだけは避けたかった。しかし回復をかけても何をやってもうまくいかず(これまでの経験上うまくいった試しなどない。)またかと呆れながらもなんとかならないかあれこれ試してみた。

 しかしどうにもならない上にPCがないと仕事でも非常に困ることもあって散々考えた上でこれまで一度として手を出したことのないMacを選んだ。理由は多々あるがWindowsPCを使っていると常に仕事をしているような感覚を覚えること、どんなPCを選べばいいのか調べるのが最早面倒くさかったことなどあれこれとある。以前ならPCいじりは遊びの領域だったが今はPCトラブルで受けるストレスがとにかく我慢ならない。修復作業なんて本当に時間の無駄でしかない。とは言っても最大のきっかけはディスプレイだったかな。画面が圧倒的にキレイである。

 自分のなかではMac=遊びのPCまたはデザイナーなどのプロが使うPCというイメージが強かったのでそれじゃあこれからは遊びながら仕事させてもらうぜと考えをガラッと変えることにし、思い切ってカスタマイズもして注文した(もちろん教職員割引)

 しかしながらカスタマイズなどするから納期も遅くなり、それまでにどうしてもPCが必要となって再び復旧作業に取り掛かることになった。

 「エルマ」は現在SSDを搭載しているが、それはおよそ1年前に換装したもので、それ以前には2TBのHDDが入っていた。試しに換装してみると正常に動作したのでこのHDDのCドライブをそっくりそのままSSDに移植することにした。まずはSSDのCドライブを削除し、新たにパーティションを作った上でドライブコピーをする。理屈の上ではこれで何とかなる。紆余曲折はあったものの無事にCドライブ移植は完了し1年前の状態だが元のWindowsが立ち上がった。

 こうしてPCの復旧作業は結局できたら避けたかったパーティションの消去や移植という手段でなんとか終了したが、そこに新しくOneDriveをインストールすると勝手にクラウドにあるデータのダウンロードを始めた。しかもそれが運悪く職場でのことでその作業に気づいていなかったので気付いた時にはダウンロードも終了しテザリングをしていた僕のiPadの通信上限ギリギリまで使い果たしていた。ダウンロードするなら一言断ってからにしてもらいたい。

 さらに家に帰って来てからは勝手にプログラム更新をしてくれて、設定の一部が初期化されてしまう憂き目に遭う落とし穴付きだった。せっかく復旧させてもロクでもないことばかりして本当に今回ばかりはWindowsには愛想が尽きた思いだ。

 復旧したエルマは現在まともに動作するのでこれは職場作業用に回し、今回やって来たMac(名前は「ラーレ」)をメインマシンとして使うことにした。

 とは言ってもこれまでMacにはほとんど触ったこともなく、どこをどうすればどう動くのかしばらくの間は実際に使って慣れるよりほかない。今まさにこの段階である。

 やって来た当日は全く思うように動かず、翌日はSSDをパーティションで仕切ってデータ格納のドライブを設けたところで終了。その翌日ウィルスバスターがなんとかインストールでき、体験版Photoshop Elementもインストールできた。今日ようやく職場に持って言ってExcelでの作業をした(ほとんどWindowsとは互換性がないらしいが、出来上がった文書をPDFにすれば特に問題なく使える)。このブログ記事もMacで書いている。

 この後はiPhoneに接続してバックアップをとったり、音楽を転送したりできればいいかなと思っている。ひと頃よりもPCを使ってああだこうだとしなくなって来た。それもよく考えればWindowsがつまらなく感じていたからなのかも知れない。そうでなければ何をやっても必ずトラブルが起こるところに辟易としていたところがきっとあったに違いない■


【2017年5月5日(金)】

 龍泉洞を出ると岩泉町の沿岸にある小本に出て、そこから南下をすると田老だ。現在は宮古市田老となっているが僕が住み込みで宮古にいたときはまだ田老町といって隣町だった。この田老には住み込み時代も含めて何度も行った場所である。

 この田老に震災後お蕎麦屋さんができ、それが復興の証としてテレビで紹介されているのを見た。それが今年の初めくらいのことだった。それを見て俄に三陸に行ってみたいという気持ちをかき立ててくれた。もしこのテレビを見ていなかったら三陸に行ってみようという気持ちにはならなかっただろう。

 そのお蕎麦屋はテレビで見たときにはいかにも仮で営業していますという感じの建物だったのだが、後に移転をしてちゃんとした店構えになっていた。

a0004070_10321443.jpg
◆はなや蕎麦たろう

 このお店では手打ち蕎麦を自分で選べる天ぷらと一緒に食べることができ、出てくる蕎麦も地元の田老産のものが食べられる(他にも北海道産と同じ岩手県の紫波産のそばもある)。お店に着いたときはお昼時ということもあって駐車場はほぼいっぱいだったがよく見ると地元ではなくよそからやって来た車が多かった。我が家と同じようにどこからか評判を聞きつけてやって来たのだと思う。

a0004070_10360350.jpg
◆ミニカツ丼とセットで

 味の方も確かでこれならまた食べに来たくなるなと言う満足感。今回は田老産のお蕎麦を食べたが残念ながら他との違いはわからなかったが、十分に満足できたのでそれはそれで来た甲斐があった。

 せっかく田老に来たのだが町の様子は変わり果ててしまい、陸前高田同様全く知らない場所にやって来てしまった気分である。田老は昭和三陸津波の時にも甚大な被害を受け、巨大な防潮堤があったのだがそれでも先の津波はそれさえも乗り越えて町を飲み込んでしまった。

 田老にはもう一つ三王岩という名勝があるのでそちらも見に行くことに。大船渡の穴通磯と同じく崖の上から見る奇岩だが、その崖に上がるまでの道もまったく記憶にない道だった。

a0004070_10410742.jpg
◆三王岩

 写真ではわかりにくいが実に巨大で立派な一本岩である。さすがにリアス式の陸中海岸だけのことはあるなとつくづく思わせる場所だ。こういった奇岩名勝は比較的津波の影響を感じさせない(建造物じゃないからだ)。

a0004070_10431389.jpg
◆三音岩をバックに

 三王岩を見終わって田老の町に戻る途中にはかつての田老観光ホテルが解体されずに残されていた。宮古市では(宮古以外でも)津波による被害を後生まで語り継ぐ為に一部の建造物を被災遺構として保存している。

a0004070_10455214.jpg
◆田老観光ホテル

 案内板によるとこの5階建てのホテルの4階まで津波が到達、1,2階は骨組みだけを残しすべてがながされてしまったとのこと。事前に予約をしてあれば建物の中にも入ることができる。おそらくは宮古市役所の人なのだろうが、ガイド役として説明をしていた。

 ここだけ見るとだだっ広い場所にホテルがあるような印象しか受けないが、実際は下町っぽい場所にこのホテルがあった。直前まで入っていないがこのホテルの近くは通ったことがある。

a0004070_10455319.jpg
◆M9.0の地震でこれだけ地面が動いたらしい

 旧田老観光ホテルには駐車場やトイレもあり、じっくりと見学をすることができるのだが、その一方でそれを直視できるかというと恐ろしくて長いことは見ていられないのではないかと思う。ここで予想外に時間を使ってしまったので先を急ぐことにした。国道45号線を南下して宮古へと向かう。
次回につづく