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【2017年6月8日(木曜日)】

 このブログをはじめ、写真管理から仕事まで全て僕のPC「エルマ(2011年型Let’s Note/Windows10)」で行なっている。このPCのSSDの容量が残り少なくなって来たので溜まりに溜まっている写真データをブルーレイに焼いて保存する作業をしていた。ブルーレイは外付けのドライブを繋げていたのだが、その状態でWindowsが更新をし、それからというもののまるで廃人のようになってしまった。

 リカバリをかければ一番楽だが、そうするとこれまで使って来たアプリなども消えてしまいそれだけは避けたかった。しかし回復をかけても何をやってもうまくいかず(これまでの経験上うまくいった試しなどない。)またかと呆れながらもなんとかならないかあれこれ試してみた。

 しかしどうにもならない上にPCがないと仕事でも非常に困ることもあって散々考えた上でこれまで一度として手を出したことのないMacを選んだ。理由は多々あるがWindowsPCを使っていると常に仕事をしているような感覚を覚えること、どんなPCを選べばいいのか調べるのが最早面倒くさかったことなどあれこれとある。以前ならPCいじりは遊びの領域だったが今はPCトラブルで受けるストレスがとにかく我慢ならない。修復作業なんて本当に時間の無駄でしかない。とは言っても最大のきっかけはディスプレイだったかな。画面が圧倒的にキレイである。

 自分のなかではMac=遊びのPCまたはデザイナーなどのプロが使うPCというイメージが強かったのでそれじゃあこれからは遊びながら仕事させてもらうぜと考えをガラッと変えることにし、思い切ってカスタマイズもして注文した(もちろん教職員割引)

 しかしながらカスタマイズなどするから納期も遅くなり、それまでにどうしてもPCが必要となって再び復旧作業に取り掛かることになった。

 「エルマ」は現在SSDを搭載しているが、それはおよそ1年前に換装したもので、それ以前には2TBのHDDが入っていた。試しに換装してみると正常に動作したのでこのHDDのCドライブをそっくりそのままSSDに移植することにした。まずはSSDのCドライブを削除し、新たにパーティションを作った上でドライブコピーをする。理屈の上ではこれで何とかなる。紆余曲折はあったものの無事にCドライブ移植は完了し1年前の状態だが元のWindowsが立ち上がった。

 こうしてPCの復旧作業は結局できたら避けたかったパーティションの消去や移植という手段でなんとか終了したが、そこに新しくOneDriveをインストールすると勝手にクラウドにあるデータのダウンロードを始めた。しかもそれが運悪く職場でのことでその作業に気づいていなかったので気付いた時にはダウンロードも終了しテザリングをしていた僕のiPadの通信上限ギリギリまで使い果たしていた。ダウンロードするなら一言断ってからにしてもらいたい。

 さらに家に帰って来てからは勝手にプログラム更新をしてくれて、設定の一部が初期化されてしまう憂き目に遭う落とし穴付きだった。せっかく復旧させてもロクでもないことばかりして本当に今回ばかりはWindowsには愛想が尽きた思いだ。

 復旧したエルマは現在まともに動作するのでこれは職場作業用に回し、今回やって来たMac(名前は「ラーレ」)をメインマシンとして使うことにした。

 とは言ってもこれまでMacにはほとんど触ったこともなく、どこをどうすればどう動くのかしばらくの間は実際に使って慣れるよりほかない。今まさにこの段階である。

 やって来た当日は全く思うように動かず、翌日はSSDをパーティションで仕切ってデータ格納のドライブを設けたところで終了。その翌日ウィルスバスターがなんとかインストールでき、体験版Photoshop Elementもインストールできた。今日ようやく職場に持って言ってExcelでの作業をした(ほとんどWindowsとは互換性がないらしいが、出来上がった文書をPDFにすれば特に問題なく使える)。このブログ記事もMacで書いている。

 この後はiPhoneに接続してバックアップをとったり、音楽を転送したりできればいいかなと思っている。ひと頃よりもPCを使ってああだこうだとしなくなって来た。それもよく考えればWindowsがつまらなく感じていたからなのかも知れない。そうでなければ何をやっても必ずトラブルが起こるところに辟易としていたところがきっとあったに違いない■


【2017年5月5日(金)】

 龍泉洞を出ると岩泉町の沿岸にある小本に出て、そこから南下をすると田老だ。現在は宮古市田老となっているが僕が住み込みで宮古にいたときはまだ田老町といって隣町だった。この田老には住み込み時代も含めて何度も行った場所である。

 この田老に震災後お蕎麦屋さんができ、それが復興の証としてテレビで紹介されているのを見た。それが今年の初めくらいのことだった。それを見て俄に三陸に行ってみたいという気持ちをかき立ててくれた。もしこのテレビを見ていなかったら三陸に行ってみようという気持ちにはならなかっただろう。

 そのお蕎麦屋はテレビで見たときにはいかにも仮で営業していますという感じの建物だったのだが、後に移転をしてちゃんとした店構えになっていた。

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◆はなや蕎麦たろう

 このお店では手打ち蕎麦を自分で選べる天ぷらと一緒に食べることができ、出てくる蕎麦も地元の田老産のものが食べられる(他にも北海道産と同じ岩手県の紫波産のそばもある)。お店に着いたときはお昼時ということもあって駐車場はほぼいっぱいだったがよく見ると地元ではなくよそからやって来た車が多かった。我が家と同じようにどこからか評判を聞きつけてやって来たのだと思う。

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◆ミニカツ丼とセットで

 味の方も確かでこれならまた食べに来たくなるなと言う満足感。今回は田老産のお蕎麦を食べたが残念ながら他との違いはわからなかったが、十分に満足できたのでそれはそれで来た甲斐があった。

 せっかく田老に来たのだが町の様子は変わり果ててしまい、陸前高田同様全く知らない場所にやって来てしまった気分である。田老は昭和三陸津波の時にも甚大な被害を受け、巨大な防潮堤があったのだがそれでも先の津波はそれさえも乗り越えて町を飲み込んでしまった。

 田老にはもう一つ三王岩という名勝があるのでそちらも見に行くことに。大船渡の穴通磯と同じく崖の上から見る奇岩だが、その崖に上がるまでの道もまったく記憶にない道だった。

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◆三王岩

 写真ではわかりにくいが実に巨大で立派な一本岩である。さすがにリアス式の陸中海岸だけのことはあるなとつくづく思わせる場所だ。こういった奇岩名勝は比較的津波の影響を感じさせない(建造物じゃないからだ)。

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◆三音岩をバックに

 三王岩を見終わって田老の町に戻る途中にはかつての田老観光ホテルが解体されずに残されていた。宮古市では(宮古以外でも)津波による被害を後生まで語り継ぐ為に一部の建造物を被災遺構として保存している。

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◆田老観光ホテル

 案内板によるとこの5階建てのホテルの4階まで津波が到達、1,2階は骨組みだけを残しすべてがながされてしまったとのこと。事前に予約をしてあれば建物の中にも入ることができる。おそらくは宮古市役所の人なのだろうが、ガイド役として説明をしていた。

 ここだけ見るとだだっ広い場所にホテルがあるような印象しか受けないが、実際は下町っぽい場所にこのホテルがあった。直前まで入っていないがこのホテルの近くは通ったことがある。

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◆M9.0の地震でこれだけ地面が動いたらしい

 旧田老観光ホテルには駐車場やトイレもあり、じっくりと見学をすることができるのだが、その一方でそれを直視できるかというと恐ろしくて長いことは見ていられないのではないかと思う。ここで予想外に時間を使ってしまったので先を急ぐことにした。国道45号線を南下して宮古へと向かう。
次回につづく

【2017年5月5日(金)】

 二日目の宿があった岩泉町は岩手県の中東部に位置する。平坦な農耕地はほとんどなく町の領域の大半は山地で主な産業は林業と観光業だ。岩手県ということもあって同じ県内の平泉と間違われやすい

岩泉は広大な面積を誇り、日本の都府県では最も大きな面積を持つ岩手県のおよそ15分の1の割合を岩泉町が占めている。無論日本で最も大きな(面積の広い)町でもある。しかしその数に反比例するように人口は年々減少の途にある。

 先の大震災の際には沿岸の小本地区が甚大な被害を受けたが、それ以上に記憶に新しいのが去年の夏の台風被害だ。気象観測史上初の東北地方を海から直撃した台風で岩泉は小本川沿岸で壊滅的な被害を受け、老人ホームで9人の犠牲者が出た事故などが発生している。町の貴重な観光資源でもある龍泉洞も水没し、地底湖の水も濁って半年以上の閉洞を余儀なくされた。

 岩泉はその前にも台風で被害を受けている。2010年にも台風で土砂災害が発生しJR岩泉線が脱線事故を起こしている。この岩泉線は山田線の茂市から岩泉まで通っていた盲腸線だ。その後復旧もできずそのまま廃線となってしまった。廃線になるまでの経緯はいろいろとあるが最初の原因は土砂災害である。その当時岩泉線は日本で一番一日あたりの輸送人員が低かったということもあり、無理に復旧させたくないというJRの意向がそのまま通ってしまったのだろう。


 宿のある大川の集落にも岩手大川という駅があった。当然行ってみたところで列車はもう来ないのだが、廃線になっていなくても一日2~3本しか運行されていないのでお目にかかることはなかっただろう。


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◆岩手大川駅跡で
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◆岩手大川駅前

 度重なる災害や岩泉線の事を考えると岩泉という場所はなんとも明るい話に乏しいようにも感じるが、一方で震災後の小本地区の復興や龍泉洞の営業再開などなど、悪いままでもないこともわかる。とは言ってもこの岩手大川駅の跡を出て龍泉洞へ行くまでの間は至る所で道路工事が行われていて今だ去年の傷跡が残っていることもわかる。大川屋旅館の前の道路も旅館のすぐ先で道路は通行止めになっていた。


 小一時間ほどで龍泉洞に到着、去年の台風被害で3月まで閉洞していたのだがそんなことを感じられないくらい人出も多くて賑わっていた。


 ここはさすがにわんことは一緒には入れないが、入口にある事務所(入場券売り場の奥)でわんこを預かってくれるのでそこでお願いをして預かってもらうことに。

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◆ということでわんこは事務所でお留守番

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◆龍泉洞のわき水飲み放題

 今年3月まで閉洞していたこともあって中はちょっと心配だったのだがそんなことはあまり感じさせないくらい神秘的な世界が広がっていた。


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◆青い色は照明の色が青だから
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◆洞内がハートの形に見える場所がある

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◆地底湖

 洞内をどんどん進んでいくと最後は地底湖のある場所までたどり着くのだが、正直言って地底湖は確かに美しいがまだ水は通常時よりも濁っているかなと思った。龍泉洞の地底湖は世界一の透明度をバイカル湖と競い合うくらいのものなのだが、写真で見てもわかるがとても世界一とは思えない。まだまだ水が澄み切るには時間がかかるのではないだろうか。とは言っても十分に美しい。


 ゴールデンウィークということもあって洞内の順路は通常とは違っていたのだが、たいていの人はこの地底湖を目当てにやって来る。


 龍泉洞を出るとわんこを連れて記念撮影。


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◆まずは入口で記念撮影

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◆いつの間にかこんなものができていた

 龍泉洞ではお土産も買ったが、ここで買っておいて本当に良かったと思うくらいこの後お土産屋とは縁がなかった。しかし龍泉洞に行って買ったお土産が大船渡名物「かもめの玉子」というのも変な話なのだが。龍泉洞を出る時点ですでにお昼になっていたので先を急ぐ。この日の宿は遠野、またシャレにならないほど遠い場所だ■


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【2017年5月4日(木)】

 三陸旅行二日目の宿は岩手県岩泉町だった。ここの大川屋旅館がわんこと一緒に泊まれるという情報を得て問い合わせてみたところOKだったので予約を入れた。楽天などの宿泊予約サイトにも載らない川釣りの宿だ。

 茂市から山の中を延々と走ること1時間半ほどで宿に到着。この宿のある大川という集落は町の中心部の岩泉からも離れていて本当に知る人ぞ知る場所である。宿のすぐ後ろには大川が流れ、夜に到着したときは川の流れる音ばかりが耳についた。ここで生まれた人はきっとこの川の流れる音を聞きながら育ったことだろう。

 宿に入るとまずは部屋に通される。トイレと風呂は共同ではあるが部屋は8畳間が二つの本当に贅沢な和室だった。

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◆大川屋旅館の和室

 わんちゃんは自由にさせていいですからと言われたが、さすがに粗相などをされると困るので必要最低限の事はしたが、宿の中も自由に歩かせてくださいと言われて逆に戸惑う。その自由さといったら去年暮れに止まった南紀白浜の「犬御殿」以上である。探せばまだこういった宿があるんだなと思った。それには事情もあった。

 夕食がすぐに用意されていて1階の居間に通されるが、想像以上にすごい料理でびっくり。さらにご飯は松茸ご飯だった。

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◆大川屋旅館の夕食

 山間の宿だけに山菜もあれば、さすがに三陸海岸にも面している岩泉だけのことあって新鮮なホヤの酢の物やカレイまで出てきた。さらにこの宿を定宿にしている釣り客の方のご厚意でヤマメの唐揚げまで出てきた。

 暗くなってからの到着だったので周囲は静かでお散歩にも出てみたが本当に人っ子ひとり見かけないほどの山村の集落だった。部屋から聞こえてくるのは川のせせらぎの音だけでそれが却って気にかかるくらいに静かなところだ。

 部屋でのんびりとしていたがママは疲れたのかわんこ共々さっさと寝てしまい。僕は僕で連休の特番なのだろうがNHKで星野源が生放送をやっていたのでそれに見入っていた。なんだか気分が和らいだところで就寝。

 この日の移動は多賀城を出て女川→南三陸(歌津)→気仙沼→陸前高田→大船渡→山田→茂市→岩泉とかなりの長距離移動だった。


後半はこちら
【2017年5月4日(木)】

  宮城と岩手の県境はあっという間に通過してしまった。唐桑峠というその道には以前は峠の茶屋などもあってああ越境するんだなという雰囲気があったのだが、長いトンネル一つ抜けるだけで峠越えの儀式みたいなものは何ひとつなくあっという間に岩手県に入ってしまった感じがした。

 トンネルを越えてしばらく坂を下るともう陸前高田に入ることは知っていたが、自分の知っている道を通った記憶がない。いつの間にやら知らない場所に入り込み、ここが陸前高田だと唐突に言われてしまったような感じがする。遠くにあの有名な「奇跡の一本松」が見える。

 陸前高田はご存知の通り、先の震災で甚大な被害を受けた場所だ。更地に盛り土をしてこれから土地の区画を新たにすることになっているのだが、何もかもが流されてしまった上に盛り土をして土地を高くしている為に元の面影なんてまったく感じられなかった。いつもこの町に入ると車を洗っていた洗車場も、通りにあったお店も美しかった松原もすべては夢だったのだと言わんがばかりにその姿を消していた。

 陸前高田は大学時代の友人の実家があり、何度となく訪ねた場所だ。そして必ず松原には立ち寄っていた。友人の実家も津波で流されてしまったが家族は全員無事だとは聞いていた。あんなに好きだった三陸をこれだけご無沙汰にしていたのは自分の好きだった思い出の場所が変わってしまった姿を見る覚悟ができなかったからだ。北海道をご無沙汰しているのとは全くわけが違う。

 ある程度の覚悟はして来たつもりだったが、現実はあまりにも想像を超えていて思わず目を背けたくなる風景が続いていた。この陸前高田の前、気仙沼でも同様の風景は見かけた。しかし陸前高田はこれまでとはレベルが違っていた。結局車を駐めて立ち寄ることもせずに先にある大船渡へと向かった。

 当初の予定では三陸海岸を北上し大船渡、釜石、山田、宮古の景勝地に寄りながら最終的には宿を押さえた岩泉へ行くことにしていたのだが、さすがに時間がなくて次がこの日最後の観光地となる。それは大船渡にある「穴通磯」である。

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◆名勝・穴通磯

 この穴通磯は僕が初めて住み込みバイトで三陸の宮古に行ったとき、陸前高田の友人が連れて行ってくれた場所だ。この時はこの穴通磯とこれまた有名な碁石海岸、なぜか「かもめの玉子」のさいとう製菓にまで連れて行ってくれた。今回は碁石海岸には行けなかったがこっちの穴通磯はどうしても譲れなかった。

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◆はたしてわんこはこれを見てどう思ったのだろう

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 震災で変わり果てた町がある一方。ほとんど変わらない景勝地があったりでそれらを見ては一喜一憂する。この日はとにかく運転疲れもあったがそれ以外にも色んな意味で疲れる一日だっただろう。

 この後大船渡から釜石へ、一部三陸道が開通しているのでそれを利用する。釜石の次は震災の時に町長まで津波の犠牲になった大槌へ。大槌には井上ひさしの小説で有名な「吉里吉里」という場所があり、こちらも高田松原同様行けば必ず立ち寄っていたのだがここもあまりに変わりすぎてしまい全く止まることなく通過した。

 大槌を通り過ぎると次は山田、こちらも町中はほとんど通過してしまった。降りるのが辛いということもあるが時間がないというのが最大の理由だった。山田の次は宮古に入るが、宮古市内の賑やかな場所に着く前に今度は国道106号線を盛岡方面へ、閉伊川沿いを西へと進み茂市という場所から今度は国道340号線に入る。かつて岩泉線というローカル線があったその線路沿いを岩泉に向かって走る。山間の集落はとうに日も暮れてだんだんと暗くなり心細くなるばかりだった。

 この日の宿は岩泉にある大川屋旅館という宿。岩泉からは結構離れていて去年大洪水で多数の犠牲者を出した小本川の支流、大川に近くにある宿。予定の時間を大幅に遅れて午後8時に到着した。この宿についてはまた次回と言うことで。

 今回の旅行では先にも書いたように被災地の変わり果てた姿にばかり気を取られていたのだが季節はちょうど山桜の時期でどこへ行っても満開の桜の木を目にすることができた。近所のソメイヨシノもいいものだが山中にぽっと色を添える山桜もいいものである■

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次回につづく