カテゴリ:日常の話( 259 )

 先月くらいから我が家のベランダに鳩がやってくるようになった。俗にいう「鳩害」というのはかなり壮絶だということは以前から聞いていたのでこれはどうにかせねばならないとあれこれ手を打つことに。元はと言えばとなりのベランダにやって来たものが図々しくも我が家にまでやって来るようになったのだ。

 隣の家は鳩に対して特に手を打っているわけでもなく、ベランダの手すりにアルミホイルを巻くだけだった。しかし鳩の啼き声で隣の様子を見るとそのアルミホイルの上を歩いている始末。それで鳩が追い払えるのだったら苦労もいらない。

 まずは近くのホームセンターに行き害鳥を追い払う道具をいくつか買う。買ったものの写真がないので言葉で説明するしかないのだがまずはペットボトルで作る猫の形をした鳥追い、一応目が反射鏡になっているのだが見た目にもあまりにも頼りなかった。本当だったらモグラ追いのようにハデにグルグル回るプロペラみたいなものが欲しかったのだが、近場のホームセンターでは農業をする人も少ないのだろう、そんな本格的なものはなかった。

 キラキラ光るビニールテープも買う。これは畑や田んぼなどで風を受けてピカピカ光っているイナカの風物詩みたいなものだ。遠くから見ると光が右に左に走っているように見えて昔も今もこれは定番なのだろう。

 もう一つは長い螺旋状のこれもやっぱり反射する棒で、形は靴べらみたいなもの。これは吊るしておけばちょっとの風でも回転を始めるのだが、それでは心細いのが正直なところ。そしてこれらは見事に効果を見せず、その後も鳩の襲来に悩まされる日々が続く。

 とある週末、あまり天気は良くないのだがちょっと遠出をして出先にあるホームセンターでもっと効果的な鳥追いを探すことにした。行った場所は富士吉田。はるばるそこまで出かけてただ鳥追いを買うのではつまらんので近くにある道の駅でわんこを遊ばせる。

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◆わんこはわんこで楽しんでいる様子

 この日は先ほども書いた鳥追い棒、水平に回転する風車、バネみたいなカラス追い(これがまた驚くほど使いにくくて効果がなかった。こんなもの買うくらいなら銀色の反射テープを買ったほうがずっとマシ)などを買う。

 また別の日には100均で売っているトゲトゲのネコ避けも買い、ベランダの表面にできるだけ敷き詰めておいた。これは効果あったようで鳩も近づかなくなって来た。

 その後再び近くのホームセンターで風車などを買い、なんとか鳩を近づけなくさせることはできた。道具なんて特にベーシックなものでもかまわない。あれこれ策を講じた結果わかったことは、ベランダがゴチャゴチャしていると鳩はやってくる。なので徹底的にベランダにあるいらないものは片付けた。特に折鶴蘭が茂っていたのはすべて別の場所に移動させた、光ったりぐるぐる回ったりする鳥追いは本当に効果があったのかどうかわからないが、それなりにちょっとずつ効果はあったのだろう(バネ状のカラスよけ以外は、もう一度書くがあれはまったく何の役にも立たない。無駄な出費をするだけなので絶対に買わないことを強くお勧めする)

 気がつけばモグラ追いっぽい風車や気象観測所にある風速を図るような風車が回り、銀色のテープが風を受けてキラキラ光り、さらに靴べらみたいな鳥追いがくるくる回るちょっと異様なベランダになってしまったが、それでも鳩を近づけさせないことはできた。ここまでしてでも鳩害は避けたかったのだ。

 一方隣の家はアルミホイル以外にはなり何の策も講じず、雨風でボロボロになったアルミホイルが頻繁に我が家に飛んでくるようになった。我が家の周辺アルミホイルのクズだらけである。それでもおそらくこちらの苦労など全く知らずにアルミホイルが効果ありと思ってるのだろう。

 で、結局鳩はどうしたかというと、一つ上の階(住人おらず)に居座るようになりあまり解決にはなってないのがオチだが。直接我が家のベランダに来なくなっただけでもヨシとしなければどうにもならない。

 もう一度書いとくが、鳩害は本当に凄惨極まる。場合によっては命に関わる重い病気になる危険もある。とは言っても鳩だって生きる権利があるのだし、さらに一度巣を作ってしまうと法律によって撤去は禁止されている(禁止されてようと撤去するつもりでいたが)。要は鳩がいづらい環境を整えること、それにはベランダを物置のようにはせず、整理整頓が何よりも大切なことである。手っ取り早く解決させようなんてことは無理だ。ましてやアルミホイルを手すりに巻いただけでは何の意味もない。

 最後に我が家の場合、蚊取り線香も結構効果的だった。どうも鳩はあの臭いが嫌いらしく蚊取り線香を焚いている間はベランダにやって来なかった。鳩が営巣するのは基本的に繁殖期なので、その期間では日中蚊取り線香を炊くことにした。おそらくこの夏中ずっとだろう。それでも意味のないバネじょうのカラスよけよりはずっと安価で効果的である。

 今年はベランダのプランターにゴーヤを植え、緑のカーテンが徐々に育ちつつある。これがだいぶ茂れば鳩も入り口に困るようになるだろうからそちらにも期待している■

 今日はわんこの話題とは全く関係ありません。

 先日YouTubeで昔聴いていたアルバムがまるまるアップロードされているのを偶然発見して聴き入ってしまった。アルバムは数枚だがいずれも僕が中学生、高校生くらいの時分の頃のアルバムだ。まさに若かりし青春時代の思い出といってもいい。

 で、そのアルバムのレビューをしようって言うわけではない。その頃どうやって音楽を聴いていたのかを思い出してみた。少なくとも当時の音楽はLPレコードをカセットに録音してそれを聴くのが主流だった。LPレコードは演奏しながら持ち歩くなどと言うことは不可能で、モビリティという面では全くもって向いていなかったが、昔の音楽のメディアはこのレコードというものだった。

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◆今回聴いたのはこちら、鈴木英人のイラストが時代を語っている


 そしてCDが登場するのが1980年台後半、それも最初のうちはなかなか浸透しなかった。それにCDも当時はコンパクトではあったがモビリティという側面から見るとレコードとほぼ同じだった。雑音はなくサウンドはクリアではあるが、どこか温かみには欠けていた。といっても今日はそんなCDの音についても何か書こうとは思っていない。

 要はアナログ時代の音楽の持ち運びは手のひらに乗るカセットテープが主流だった。そしてLPレコードにもカセットテープにも共通していたのがA・B面の存在だった。LPレコードをメディアにした「アルバム」という単位はそこに収録されている全ての曲がひとまとめになった商品でもあり。それを切り離して使うのは使い手のすることだった。要するにアルバムの中のお気に入りの曲を他のアルバムのやっぱりお気に入りにしている曲と一緒にしてカセットテープに録音した上でそれを聴いていた。今でもこのコンセプトはメディアも方法も変われども同じかもしれない。

 そしてアルバムに収録される歌はただ無造作に収録されていたわけではない。A面の1曲目、3曲目、ラスト、B面の1曲目、B面のラストなどはちゃんと考えて収録されていた。ここがアーティストの見せ所だったかもしれない。場合によってはB面の3曲目なんてもの重要なファクターだったと思う。さらに大雑把に言えばA面、B面の存在はアルバムに魂が込められるか否かさえも決定する要素だったと思う。

 ところがCDの登場によってB面の存在はなくなると、1曲目、3曲目、ラストだけに気を配ればよくなり、アルバム単位での楽しみは言ってしまえば半減してしまったようにも思える。

 さらに最近ではアルバムをダウンロードして聴くことが主流となり、もはやCDはメディアとして必要不可欠とまではいかなくなってきた。アーティストがアルバムを作っても好きな曲だけダウンロードされ、そうでない取り付きにくい曲はスキップされる。アルバム単位でダウンロードしたほうが割安なのでとりあえず全曲ダウンロードしたとしても、プレイヤーの方で曲順をいくらでも編集できるからそういった曲はだんだんと聴かれる機会も減ってくる。シングルのB面なんてものの存在はないが、B面の存在は大きかったと思う。アルバムからシングルカットをするにあたり、メインとなるA面と一緒に収録される曲選びだって重要だったことだろう。要はB面の曲というのはアルバムの「その他大勢」として埋もれさせるには秀逸でありながら、やっぱりA面程にはアピール度もない、けれども名曲となりうる可能性も秘めている。そういったちょっと注目すべき村祭もCDの登場でばくなってしまった。

 そしてここが一番言いたいところなのだが、そういったA・B面の存在を意識して作られたアルバムというのは今聞いてみてもメリハリがはっきりしていて聞いているだけでも楽しいものだ。今のアーティストのアルバムが云々などとは言わない。逆にこんなアーティストにA・B面のあるアルバムを作らせたらどうなっただろうなと思うこともある。

 昔はそんなA・B面のハッキリとしたセオリーに則ったアルバムが当たり前で、その順番で音楽を聴いていたが、今では大量にひとつのプレイヤーに突っ込み、シャッフルして聴くなんていう聴き方もされている。シャッフルが悪いとは言わない、シャッフルプレイのあの意外性と次の曲に対する期待感というのが逆にデジタル化した時代の新たな楽しみと言ってもいいだろう。しかしそこには曲の順序で勝負をするアーティストの思いは全く伝わらない。当然CD革命以降に生まれた若きアーティストにはそんなA・B面なんて言われたってわからないと思うかもしれない。やっぱりA・B面の存在はレコードをひっくり返したり、カセットの場合はオートリバースであってもそれなりの「儀式」が伴うから楽しかったのだろうと思う。今はそんなインターミッションもなく始まったら最後まで、場合によっては自分が止めるまで延々と音楽が続く聞き方が当たり前となった。それって便利だけどそんなんでいいのかなと昭和生まれの僕は時々思うことがある■

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◆持論だが青春ってのは感動を伴う時代であり、その人の若さは関係のないことだと思う

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【2017年6月8日(木曜日)】

 このブログをはじめ、写真管理から仕事まで全て僕のPC「エルマ(2011年型Let’s Note/Windows10)」で行なっている。このPCのSSDの容量が残り少なくなって来たので溜まりに溜まっている写真データをブルーレイに焼いて保存する作業をしていた。ブルーレイは外付けのドライブを繋げていたのだが、その状態でWindowsが更新をし、それからというもののまるで廃人のようになってしまった。

 リカバリをかければ一番楽だが、そうするとこれまで使って来たアプリなども消えてしまいそれだけは避けたかった。しかし回復をかけても何をやってもうまくいかず(これまでの経験上うまくいった試しなどない。)またかと呆れながらもなんとかならないかあれこれ試してみた。

 しかしどうにもならない上にPCがないと仕事でも非常に困ることもあって散々考えた上でこれまで一度として手を出したことのないMacを選んだ。理由は多々あるがWindowsPCを使っていると常に仕事をしているような感覚を覚えること、どんなPCを選べばいいのか調べるのが最早面倒くさかったことなどあれこれとある。以前ならPCいじりは遊びの領域だったが今はPCトラブルで受けるストレスがとにかく我慢ならない。修復作業なんて本当に時間の無駄でしかない。とは言っても最大のきっかけはディスプレイだったかな。画面が圧倒的にキレイである。

 自分のなかではMac=遊びのPCまたはデザイナーなどのプロが使うPCというイメージが強かったのでそれじゃあこれからは遊びながら仕事させてもらうぜと考えをガラッと変えることにし、思い切ってカスタマイズもして注文した(もちろん教職員割引)

 しかしながらカスタマイズなどするから納期も遅くなり、それまでにどうしてもPCが必要となって再び復旧作業に取り掛かることになった。

 「エルマ」は現在SSDを搭載しているが、それはおよそ1年前に換装したもので、それ以前には2TBのHDDが入っていた。試しに換装してみると正常に動作したのでこのHDDのCドライブをそっくりそのままSSDに移植することにした。まずはSSDのCドライブを削除し、新たにパーティションを作った上でドライブコピーをする。理屈の上ではこれで何とかなる。紆余曲折はあったものの無事にCドライブ移植は完了し1年前の状態だが元のWindowsが立ち上がった。

 こうしてPCの復旧作業は結局できたら避けたかったパーティションの消去や移植という手段でなんとか終了したが、そこに新しくOneDriveをインストールすると勝手にクラウドにあるデータのダウンロードを始めた。しかもそれが運悪く職場でのことでその作業に気づいていなかったので気付いた時にはダウンロードも終了しテザリングをしていた僕のiPadの通信上限ギリギリまで使い果たしていた。ダウンロードするなら一言断ってからにしてもらいたい。

 さらに家に帰って来てからは勝手にプログラム更新をしてくれて、設定の一部が初期化されてしまう憂き目に遭う落とし穴付きだった。せっかく復旧させてもロクでもないことばかりして本当に今回ばかりはWindowsには愛想が尽きた思いだ。

 復旧したエルマは現在まともに動作するのでこれは職場作業用に回し、今回やって来たMac(名前は「ラーレ」)をメインマシンとして使うことにした。

 とは言ってもこれまでMacにはほとんど触ったこともなく、どこをどうすればどう動くのかしばらくの間は実際に使って慣れるよりほかない。今まさにこの段階である。

 やって来た当日は全く思うように動かず、翌日はSSDをパーティションで仕切ってデータ格納のドライブを設けたところで終了。その翌日ウィルスバスターがなんとかインストールでき、体験版Photoshop Elementもインストールできた。今日ようやく職場に持って言ってExcelでの作業をした(ほとんどWindowsとは互換性がないらしいが、出来上がった文書をPDFにすれば特に問題なく使える)。このブログ記事もMacで書いている。

 この後はiPhoneに接続してバックアップをとったり、音楽を転送したりできればいいかなと思っている。ひと頃よりもPCを使ってああだこうだとしなくなって来た。それもよく考えればWindowsがつまらなく感じていたからなのかも知れない。そうでなければ何をやっても必ずトラブルが起こるところに辟易としていたところがきっとあったに違いない■


 今日はわんことは全く関係のないつまらな~い話題です。つまらないと思うのでスルーしちゃってもかまいません。

 アメリカ大統領が先月ドナルド・トランプになってからと言うモノのニュースのネタが尽きないのは誰でも知っていること。こんな男でもアメリカが選んだのだからアメリカって国はよほど行き詰まっているのだろうかね。誰だってそう思う。

 トランプのような破天荒で言葉も選ばず強引に我を通し、敵対するものには徹底的に抗うようなタイプの人間は個人的にはどうにも苦手なのだが、こういう人物が人の上に立つのはいつの世も変わらないことなのかも知れない。

 しかしあまりにも無礼で恥知らずなところは日本人にはあまりいい印象を抱いてもらえないようにも思う。アメリカ人よりも日本人の方がこのようなタイプの人間を嫌う。

 しかしここは自分が好き嫌いというということは勘定に入れずに話を進めていくつもりだ。

 たまに話題に挙げるが、僕にはアメリカに親戚がいる。大半はペンシルベニア州かニュージャージー州に住んでいる。伯母の1人が国際結婚をしているのでその家族がいるというわけだ。いとこも4人いてそのうち2人とはFacebookで繋がっている。よくコメントのやりとりなどをしている。

 我が家の母方の家系は女系で7人姉妹、いとこも当然たくさんいるのだが現在連絡を取り合っているいとこはほとんどおらず(というのもいとこも女ばかりだから)もっぱらアメリカのいとこと強く繋がっている。さらに日本にいるいとこたちは僕以外誰も米国の親戚とは繋がりがなく言うなれば僕が1人でアメリカとの玄関口のような役割をしている。こんな話もするだけ情けないような気がする。法事などで親戚が集まりアメリカの話題になるとどうなっているのかと訊かれる始末だ。

 先方の繋がっているいとこの1人は4人のうちの長男。かつてアメリカに行ったときに色んな所に連れて行ってくれた。ボブ・ディランのライブにも行ったくらいだ(なんと前座はポール・サイモンだった。)

 もう1人は同い年の次女で4人の中で末っ子になる。こちらはうんと小さいときに日本に遊びに来ている。彼女もその時のことを覚えていてアメリカで再会を果たしたときにはお互い大人になったなと思ったものだ。残る長女は一番年上、しかし彼女とは電話でしか話をしたことがない。そして旦那がジャマイカ人である。ということで親戚にジャマイカ人がいるというの全くもってピンとは来ない。(もちろん会ったこともない)もう1人の次男、こちらも電話とメールでしかやりとりをした事がないが数年前までサンフランシスコに住んでいて遊びに来い来いなんて言われていた。その時行っておけばよかったと今更思っても時すでに遅しだ。

 さて、いつものように前置きが長くなってしまったが今回の話は彼らではない。次女には長い付き合いをしている男がいて、僕も彼とはアメリカで会っている。数年前めでたく結婚をしたがちょっと遅くないかなとも思う。

 このいとこの旦那が今回の主役だ。名前はカールと言うドイツ系の男、そうか、親戚にドイツ系もいるとはビックリだ。もっとも会ったときにはこの男が後々親戚になるとはあまり思っていなかった。

 現在Facebookでもっともやりとりを頻繁にしているのがこのカールだ。とにかくカールはおもしろいネタでも何でもFBですぐにシェアする。その数がとにかく多い。普通自分のTLに英語の記事が増え始めたらフォローをやめるだの何だのとするのだろうが、これがなかなかおもしろいネタ揃いなので毎日楽しみでもある。このシェアした記事に時々コメントを入れるとコメントが返ってくるということで、アメリカの「家族」たちとの繋がりもできているわけだ。FBに限らずSNSってのは便利だなと思う。

 アメリカ大統領選でトランプがいよいよ共和党代表になったあたりからカールがシェアするネタがどう見てもアンチトランプなものばかりになってきた。向こうの「家族」が民主党寄りなのかどうかはわからないが、まあペンシルベニアは元々は民主党の票田みたいな場所なので多分そうなのだろう。しかしそうでなくてもあの人柄はやっぱり嫌われる、他のいとこ達もやっぱりこの人に大統領になられたら困ると漏らしていた。と言っても応援する民主党の候補があのヒラリーじゃどうしたらいいものか大いに悩んでいたところであろう。

 トランプがいよいよ次期大統領に選ばれるとカールのシェアするネタもいよいよ反トランプのものが増えてきた。そしてことある度にメッセージのやりとり上で「他の国の人達には本当に申し訳ない。あんなのが大統領なんて。そもそも大多数のアメリカ人は反対しているんだ。」と住まなそうに言うのがどうにも不憫でならない。

 反トランプネタもあからさまに非難しているものから嘲笑しているものまでいろいろとある。これだけ見ているといかにトランプは嫌われているかがわかるような気もするが、それは単にカールシェアするネタなのでトランプ賞賛などは全くないと言うわけだ。(そんなネタは底抜けにつまらないとは思うが)

 それと同時にアメリカという国は本当に分断かされているんだなと感じずにはいられない。そしてそんな分断についても「本当に申し訳ない。」とカールは折に触れ謝ってくる。

 アメリカという国は以前より呆れる部分もあったり、どうかしているぜと腹立たしくなる事もあったりする一方でやはりどこかにまだ羨望というものも自分の中にはあったはずなのだが、こうしてアメリカの「家族」が自分の国のあり方について謝ってくるなんてのは寂しい限りだ。アメリカは今大きな不安の中にあり、その状態が続いている限りはその余波を日本はもろに受けてしまうのだろうし、世界的にも不安要素が尽きない時代が続くのかも知れない。

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◆せめて不安な世の中でもわんこは安らかでいてもらいたい

 FBでアメリカの家族とやりとりをしているにつれまた遊びに行きたいなと思うのだが、このご時世のこのこと遊びに行けるでもないだろうし、まだまだしばらくはFBで近況を知らせ合うだけの状態は続くのだろう■

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【2016年12月4日(日)】 「後輩君」やって来る

おそらく今年最大の我が家の出来事の一つであろう。新車を買ったことだ。我が家はこれまでずっとマツダに乗っている(別にマツダ地獄にはまっているというわけではない)。これは僕の高校時代の友人がマツダのディーラーにいて、日本屈指の敏腕セールスマンでもある。そんな関係からもともと車にはそれほどこだわらない自分は車もマツダでいいやというなんとも消極的な理由。とは言ってもマツダは時代時代で非常に魅力的な車があって、これまで乗ってきた車もそんなものがある。

7年半乗り続けたアクセラスポーツが乗りつぶしてくたびれ、来年の車検はかなり厳しいという現状もあり、以前よりこの友人に相談をしていた。当初から今度の車はCX-5がいいと希望は伝えてあった。CX-5は発売当初なかなか値下げをしないことや、クリーンディーゼルでちょっと値段が高いということもあり、さらに中古も値が下がらないことから高嶺の花だと思っていた。そこに新型登場で現行モデルの値が下がると言うことで話がやって来たのだ。と言っても新型登場がまだ社内秘だった時から話が来ていた。

こうしておよそ一ヶ月ほど待ってこの日が納車だった。納車の時はいつもこれまで乗っていた車と一緒に記念撮影をする。

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◆新旧一緒に撮るのはこれが最初で最後

 車に関していろいろ書くのも何なので手短にするが、左のアクセラスポーツは本当に乗りつぶしたという感がある。この車で四国に何度行っただろう(四国ばかりだが)。陸路で四国なんてとてもそれまで考えられなかったがこの車ではそれを可能にしてくれた。2.3ℓのエンジンはパワーもあって高速でも楽だったし街乗りでもストレスを感じなかった。

しかしハイオク仕様でレギュラーガソリンを入れると途端に調子が悪くなり、燃費もそれほどでなく燃料代がかかることや、時代の流れで無駄に背の高い車(特に無駄に背の高い軽)が増えたことから日頃から運転しづらいなと感じる事もあった。

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◆今度の「後輩君」の大きさがこれでもわかる

「後輩君」CX-5のインプレッションなどは特にここでは書かない。パワーもあるし運転もしやすいし、とにかく期待を大きく上回るほどの良い車だ。そして何よりも嬉しい事は燃費が良い上に燃料は軽油なので移動にかかる経費はこれまでの半分以下になったことだ。(この数字はプリウスを凌ぐらしい)

 ところでこれは書くが燃料が軽油になると途端に軽油独特の事情と悩みを知る。それはガス代が読めないことだ。現在住んでいる地域は比較的よそに較べると軽油が安い。ところがちょっと離れたところに行くと簡単に軽油の値段が10円以上も違ってくる。ガソリンの値段の地域差はある程度読めるし、極端な値段の違いは相当遠くに行かないと感じないが軽油の場合は隣のスタンドとの値段の違いが平気で10円以上ということが珍しくない。一度の給油で30~40ℓくらいと考えると10円の値段の差は300~400円にもなる。どちらにしてもガソリン車に乗っていた時に較べれば各段に安く移動ができるようになったが、それでも気になるものは気になる。

 写真を見てもわかるように突然車が大きくなって取り回しが大変にはなったが、ゆとりのある室内、高いポジションなど以前にはなかった良い部分もたくさんある。さらに色んな最先端の装備がついていて運転も各段に楽だ。特に気に入ってるのが追従型クルーズコントロール(前の車の速度に合わせて自動的に動く機能)とグレアフリーハイビーム(前の車や対向車の位置によって瞬時瞬時に光軸が変わるハイビーム)は本当に楽だ。

今回初期段階で数カ所手を加えたかったため、納車前一回と納車後三回ポメつながりのココルルさん一家のところに通って部品交換や取り付けなどなど何度となくお世話になっている。フォグや室内照明などのLED化やデイライト機能解除キットの取り付けなどをしてもらった。その際にはムックちゃんパパにもお世話になった。その節は本当にありがとうございました。

納車後一週間でほぼ慣らし運転は終了。浜松まで早速ドライブにも行き10日後には走行1000キロを越えて1ヶ月点検を終える早いペースだ。初めからスタッドレスタイヤをはいているのでこの冬そんなに無理をしなければどこへでも行ける。(ノーマルタイヤは狭い我が家にしまってある)これからもしばらくはドライブが楽しみでもある■

 先日ママがおもしろいものを持って帰ってきた。食品業者に配られているらしきものなのだが、韓国食材にターゲットを絞ってある。

 今は嫌韓の雰囲気が強く、また自分も思うところあってあまり韓国には感心がないのだが元は韓国大好き人間で海外旅行でも韓国が最も多い。しかも二泊三日だのといった普通のツアーなどではなく、行ったからにはどっぷり一週間近く旅行をするなんてことも多々あった。このブログにも探せばそんな韓国旅行記がたくさんある。

 食品カタログってものもそんなにお目にかかる機会もないが、それも韓国食材に特化したものともなると初めて見る。しかしこれがなかなかおもしろい。というか以前は好きでよく食べたなと思うものが結構ある。

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◆冒頭は月間セール品特集

 まず最初にキムチ、5キロからってところが業者向け。キムチは大好きだが自分で買っても1キロってのが最大だったかな。昔ほど食べなくなっちゃって今では食べなくても全然問題ないくらいにまでなったけど。はまっている時は毎日食卓にキムチはあったもんな。

 さらにカクテキ1キロ。値段も安い。おでんネタもあるが韓国のおでんは日本のおでんよりもバリエーションが少ない。練り物の細長い薩摩揚げみたいなものか油揚げみたいなものだ。韓国でもおでんは「オデン(오뎅)」という。元は日本から伝わったものらしい。

 コチュジャンもある。今でこそ日本でも普通に手に入るコチュジャンだが、以前はそれほど簡単には手に入らなかった。しかしいきなり3キロも買っても日本の家庭ではそんなに使わない。毎日キムチチゲを食べてもかなりの間食べられそうだ。

 トッポッキやトックもあるけどこれも1キロから。トックはキムチ鍋を作った時さりげなく入れておくとこれがまた美味しい。(けど思いつきでいきなり鍋に入れられるようなものではなく、水につけてやわらかくさせなければならなかったような…)

 ごま油もあるが日本のごま油よりも濃厚なので日本の感覚で使うと諄くなるが上手に使うと味が引き立つ。と言っても日本にはかどやのごま油があれば十分かな。これも1.65ℓとなるとね。このごま油で天ぷら揚げたらどうなのかなとふと思った。

 他にもマッコリなんてものもあるが、マッコリもここ最近だ。以前は日本でマッコリなんてまず手に入らなかったと思う。いずれにしても僕がお酒やめた後の話なのでほとんど関係ない。

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◆肉も充実している

 次に肉。肉、肉、肉はとにかく充実しているがどれも現実離れした質と量なのであまり関心も持てない。我が家では業務スーパーで売っている肉もほとんど買えないほど肉の消費は一般家庭レベルである。たまに牛すじが安かったりすると大量に買って下ごしらえしておくので我が家の冷蔵庫には常時牛すじは蓄えられている。

 この肉を見るにつれ韓国料理=肉(それも焼肉)という図式が日本の定番になっているんだと思う。確かに韓国料理での肉の食べ方は日本人好みでもあるよね。焼いて徹底的に食べたり、ユッケにしたりと。

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◆キムチだっていろいろ

 キムチにだっていろんな種類がある。一般的な白菜のキムチはペチュキムチ(배추김치)と言う。カクテキは大根キムチのことだし。キュウリのキムチはオイキムチ(오이김치)、ネギのキムチはパキムチ(파김치)だし、その他にも飲むためにある水キムチなんてのもある。

 実はこれらのキムチの大半は横浜橋商店街に行けば手に入るので珍しいとは思わないのだが、そんなもの手に入らないという地域差はありそうだ。

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◆お肉屋さん定番の冷麺もこの通り

 冷麺というと日本では焼肉屋の〆の定番だが、韓国では普通に肉を食べずとも冷麺を食べる。専門店の冷麺はそれだけでもすでにご馳走だ。かつて日朝会談の時平壌を訪れた小泉首相も北朝鮮から冷麺を振舞われている。あれは粗末な扱いではなく相手側から見ればおもてなしなのだ。それぞれの地方の特色を持っているが王道はやはり平壌式らしい。(どのあたりが平壌なのかがわからない)

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◆お土産の定番韓国海苔

 もう一つ韓国料理と言えば韓国海苔だ。日本人も大好き。日本では日本海苔と韓国海苔を食材や料理に合わせて使い分けをするが韓国ではあまり日本海苔を食べる機会はないようにも思える。本格的な寿司屋くらいじゃないのかな。その当たりよくわからないが韓国で日本の海苔を見たことがない。

 韓国海苔というと海苔を粗めに伸ばして乾燥させ、ごま油で焼いて塩をつけたものだが最近はこのごま油の代わりにオリーブ油を使うことが多々ある。しかし個人的には海苔にオリーブ油ってどうなのよと思う。やっぱり屋台のごま油で焼いた焼きたてを丸ごとバリバリってのが大好きだ。(地方に行くと海苔屋台ってのがあってその場で焼いたものが食べられる、保健所に連絡するぞというくらいにある意味迷惑な香りがかなり遠くからでも漂ってくる。)

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◆食器もこの通り

 韓国でこの金属の器をお土産に買ってきたと言う人もいるんではないかと思う。この器はご飯を食卓に運ぶ為だけのもので日本のお茶碗のような使い方はしない(熱くなって持てない)。鉄箸(チョッカラク)や平匙(スッカラク)などもお土産屋で売られている。韓国食に慣れると言うことはある意味この二つの食器を使い分けて食べられるようになることだとも思う。(汁物に箸を突っ込まないとかいろんなお作法がある)

 カタログにはマッコリのお玉なんてものもある。おそらくプラスチック製品だと思うがもともとは瓢箪を縦に半分に切ったものだった。やかんセットのやかんが何の変哲も無いただのやかんなのがおもしろい。専用の気取ったやかんではなく普通のやかんでストレートに飲むのが韓国流なのかな。

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◆唐辛子だけでもこんなに

 韓国産の唐辛子が日本のものに較べると情け容赦ない辛さになるというのは結構有名な話。同じ種であっても味が変わってくるらしい。そのままの姿で使うこともあるし、キムチをつけ込む時の為の粉末なんてものもあるし、唐辛子はとにかく韓国料理の根幹にある。

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◆韓国ラーメンも有名どころがしっかり押さえられている

 韓国ラーメンというと日本では何をおいても「辛ラーメン」が有名。(日本の辛ラーメンは日本向けに味付けされている) この辛ラーメンを製造している農心(ノンシム)、その他にオットギ、三養(サムヤン)食品のこの三つが個人的には韓国の主たるラーメンメーカーではないかと思う。この三つのメーカーのラーメンはどれも横浜橋商店街に行けば手に入る。

 最近になって韓国ラーメンには乾燥した虫(G)が入っているという噂も流れているが、それはきっと嫌韓家が誇張して言いふらしているだけだと思う。マクドナルドのハンバーガーからプラスチック片が出てきてどこの店でも注意が必要なんて言い回っているレベルの話だろう。

 韓国ラーメンは基本的にはどれも辛い。とにかく辛い。カタログで言うと辛ラーメンやキムチラーメン、熱(ヨル)ラーメンなどが王道を行く。とは言っても韓国で屋台のラーメン食べるとたいていは辛ラーメンがベースだ。しかしこの辛ラーメンをただ茹でてヘイお待ちなんていう屋台は絶対にない。いろんな味付け、手を加えて一つの屋台ラーメンとして生まれ変わるのだ。既製品をいかに美味しく食べさせるかは屋台の腕の見せ所だ。インスタントと侮ってはいけない。

 ここのページあるラーメンはだいたい食べたことがあるが個人的お勧めは左上から辛ラーメン(☆☆★)、イカちゃんぽん(☆☆☆)、サリコムタン麺(☆☆☆。ただしカップはおすすめできない)、ノグリラーメン(☆★★)、安城(アンソン)湯麺(☆★★)、三養ラーメン(☆☆★)。熱ラーメン(☆★★)。今挙げた中で辛くないのはサリコムタン麺くらいなものだ。なお、右上のチャパゲティは個人的にはそれほど好きではないが本国では絶大な支持を得ているジャージャー麺風ラーメンだ。どちらにしても韓国ではラーメンの単価が日本に較べても低くインスタントラーメンは欠かすことのできない国民食である。

 最後にこんなページもあった。

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◆下半分にご注目

 焼肉屋の座布団、韓国料理店ののぼりまで用意されている至れり尽くせりのカタログだ。商品名にちょっとハングルを添えておくとそれだけでも効果絶大なんだなと思った次第。

 本当はこんなもんみて喜んでいるよりも実際に韓国に行って好きなだけ食べてあちこち見て回ってなんて自由勝手な韓国旅行がしてみたいものだ。

 最後に韓国に行ったのは新婚旅行の時、トルコからの帰りに乗り換え時間が4時間あったので無理矢理入国して地下鉄で行けるところまで行ってその場所のローカルな食堂でローカルな食事をして屋台でおでんを食べてと、短時間でディープに韓国を楽しんで帰ってきたのだった■

最近「ご朱印」がブームという話を聞いている。ちょっと前くらいから神社がパワースポットとしてもてはやされている現象は知っていた。僕はそういったものに疎いのでパワーを感じるなんて自分では言えないしどれがパワーなんだかもわからない。

 ここに来てご朱印集めが流行っているというのは端から聞けば良いご趣味をお持ちの方が増えているなと感じる事もある。かくいう僕もご朱印帳は遍路をやっている関係上4冊持っている(四国、坂東、秩父とまだ巡礼は始めていないが西国のもの、基本的にはご朱印帳とは言わず「納経帳」と呼ぶ)。最近テレビに登場するようなご朱印コレクターが持っているご朱印帳は巡礼用のものとは違い、一般的なご朱印帳にこれまでお詣りした神社のご朱印をいただいているものが多い、方や納経帳というのは札所のページが決められている。つまり関係の無い神社仏閣のご朱印は押せないようになっている。このブログ開設のころの知り合いだったanさんはご朱印帳をいつも持ち歩いていたし、このブームが始まるずっと前からご朱印集めをされている人はされていたのだ。それは一つの心構えのようなものでコレクションとは異なるものだったに違いない。

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◆四国八十八カ所の納経帳、札所57番泰山寺のご朱印

 上の写真を見てもわかるが納経帳は札所が決まっているので二度目以降はご朱印だけ重ね押しされていく。5つあるので5回ご朱印をいただいている。四国に限らず納経帳は基本重ね押しをする。結願50回以上なんていう先達様の納経帳ともなると真っ赤で数もわからない。
 
 昨今流行っているご朱印帳というのはどうも神社のものが多いようで、僕のように巡礼をして持っている納経帳とはやや趣が異なるようにも思える。とはいえお参り(またはお詣り)した証を残して後々そのことを思い返すというのは良いことだと思う。

 ただ、最近になって猫も杓子もという感じでブームになっていると果たしてお寺と神社の違いなどはわかっているのだろうかと思うこともある。似ていて非なるものがお寺と神社だ。それなのに両方ともご朱印というものを授けているからさらに間違いやすそう。僕が一番疑問に感じているのは同じご朱印帳にお寺のご朱印と神社のご朱印を一緒にしていただいて良いのかどうか。良いのかも知れないし本当は避けるべき事なのかも知れないし自分でもハッキリしない。

 ま、そのあたりあまり深く考えなければ存分にご朱印集めもできてこれまでの参詣の思い出に色づけることもできるのでしょうがね。どちらにしてもご朱印集めというのはいい趣味なんじゃないかなと思う。ただ自分は納経帳を持ってはいるがご朱印を集めることを目的とはしていないのでご朱印集めが趣味とは言えた身分ではない■

 北海道の現在の過疎化問題、札幌一極集中の問題について書くのはそろそろ終わりにしようと思い、今回とあと1回で終わらせる予定です。

 前回は鉄道がしっかりしていない問題をあれこれ書いてみました。その前が道路、要するに国も人体と同じで人や物が末端まで流れなければどんどんと悪くなっていくのは同じ。人や物が血液や酸素だとすればそれが行き届かない場所はだんだんと悪くなり最後は壊死してしまう。そして人体で言う血管に当たるものが国では道路だったり鉄道だったりするのだろう。そしてそれは北海道に限ったわけではないというのは以前にも書いたとおり。

 本州から海を隔てて離れているのは北海道の他に四国と九州、沖縄などの島嶼がある。そのなかから島嶼は除いて四国を例に挙げよう。四国も北海道と負けず劣らずの条件下だ。むしろ四国の方が日本のイナカという感じもするだろう。しかし四国はいくら末端の地方に足を運んでも寂れてどうにもならないという焦りは感じられない。町も市もそれなりの生活が維持され、そこに人々が生活をしている。なにかやせ細っていくような危機感も感じなければ過疎化が進んで限界集落と言われている場所でさえもその変わりようが急ではない。言うなれば四国は末端にまで血が行き届いている。

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◆四国の典型的な過疎集落(愛媛県久万高原町)しかも豪雪地帯

 四国には札幌のような華々しい大都会はない。鉄道だって北海道以上にお粗末なものである。なにせ真ん中は激しい山地なので南北が分断されている感は否めない。地理的には北海道よりもずっと「試されている」場所でもある。そんな四国は山間部でも村があればその必要最低限の生活は保障されているし、海沿いの場所でもそれなりに行政のサービスは行き届いている。

 たいして条件は似てはいないが、北海道と四国とではこれだけの差があるのはどうしてだろう。確かに北海道と違って四国には人が住んでいた歴史が長いと言えば長いのだが、果たしてそれだけの違いでこうも違ってくるのだろうか。行く度に痩せ衰えていった北海道の地方町村に較べ、四国では山間の集落でも何でも全然違いがない、むしろどんな場所でも確実に前に来た時よりも発展している。上の写真は四国のかなり都市部から離れた町の外れの集落でしかも冬場は雪も降る。しかし見た感じはそんなに寂れて危機感も感じられない。日本の過疎集落にはまだこのくらいの余裕のある場所も多い。

 僕はプロの分析家でもないのでこの当たりの違いを分析して四国にあって北海道に何がないのかを突き止めることはできないのだが、明らかに四国には北海道にないものが働きかけている。四国は北海道に較べるとなんでも規模が小さい。観光資源にしても、産業にしても、農水畜産物にしてもしかり、それなのにどうしても両者を較べると北海道ばかりに凋落ぶりが感じられてならない。北海道が寒いからなのか、そんなだけの理由ではない、だとしたら四国の夏は暑すぎる。

 ここで言いたいのは同じ日本でありながらこの差はいったい何なのだろうということだ。確かに北海道は住むには厳しい場所なのかも知れないが、1世紀以上も前から人間の知恵と勇気で克服ができたはずだ。それに較べたら四国に移り住むのに知恵も勇気も要らない。もしかして北海道の現状を打破する解決策が道外にあるのではないかと最近ちょっと思うのだ、そして四国にもなにかヒントがありそうな気がする。気がするだけでそれが何なのか特定できないのが歯がゆいところだ。

 これまでの問題はすべて北海道内部にある「人の動きとその手段」に関わるものばかりだったが、次に3つほどこの先心配と思えるものを簡単に書いてみる。

 ひとつは地球温暖化と異常気象が北海道にも影響を及ぼしているのかも知れない。夏の高温、多雨はここ最近になって現れたものではないかと思う。ここ数年言ってしまえば北海道の夏は本州の梅雨時みたいな状態が多いような気もする。もちろん本州の異常なほどの多湿は北海道にはないが、少なくともスカッと晴れずに何日も雨ばかりという事が増えたように思える。このところの気象変動、異常気象が住みやすかった場所を住みにくい場所に変えてしまった可能性は否めない。

 夏の高温があれば、地域的には冬の異常低温もあると思うのだが、もともと北海道の冬は凍てついていて当たり前なのでそのあたりは目立たない。目立たないけど異常低温が続くのも間接的に他の問題と繋がってはいるのではないかと思っている。

 次に地方都市の内部からの破壊だ。ハッキリ言ってしまえば大手スーパーのAグループ。Aグループは地方都市に目をつけてこれまでの都市開発の一部を担うつもりで突拍子もない場所に大型商業施設をドンと作り、町の中で昔からあった人の流れや商売の動きを根底から破壊して町の空洞化の原因になっている。そして業績が伸び悩むとすぐに撤退するが、壊れてしまった町の中心の人の動きや商売の動きはそのまま放置だ。まさにどこかの大手食品メーカーが熱帯雨林を切り開き牧場を作り、それが使えなくなるとまた他の場所へと移動し、牧場の使い捨てをしているのと全く同じ事をしている。このAグループの独善的なやり方が観光地から観光客を奪い取り、人の流れを不自然なものにさせ、その流れに公共交通機関が反応してこれまで賑わっていた場所が不便な場所へと変わり、町そのものの構造を引っかき回すだけ引っかき回す。おまけに他社とは互換性が乏しい自社電子マネーを地域の住民に浸透させ、最後は風のように撤退していく。北海道はこのAグループによって幾つかの町が振り回されている。そしてこのやり口は北海道に限ったわけではないのだ。(四国でもあったような…)本州でも引っかき回された町があるのに、北海道の今の地方都市にはそれに対する耐性はほとんどないのではないだろうか。地方の町村にセイコマやツルハができるのとは訳が違う。

 もう一つは国際情勢の不安定が不安材料でもある。一昨年ロシアがウクライナのクリミアを無理矢理に併合した。ロシアはかつてどさくさに紛れて日本の領土に侵略して勝手に自分の領土としてしまった。日本政府は択捉島までの北方四島の領土権は主張しているが南樺太と得撫島から占守島までの千島列島を未だにロシアの領土とも明記はしていない。どちらにしても根室管内の6村(色丹、留夜別、泊、留別、紗那、蘂取)が該当し、行施上は根室管内なのに人口推移の統計はずっと空白のままだ。

 クリミア侵略をテレビを通して目の当たりにして以降いつかはロシアがどさくさ紛れで北海道に侵攻してして来やしないかとちょっと不安になる。いや、これ僕はけっこうマジで心配しているんだよ。ロシアは北海道を虎視眈々と狙っている。北方領土が占領された時も本当は北海道北部(釧路から旭川あたりを斜めに線引きした北の部分らしいが)を侵略して領土にしようと企んでいたことも明らかになっているし。稚内や根室などでは案内標識の地名にアルファベットと一緒にクリル文字表記があるのも見ていてあまりいい気がしないのがホンネである。

 僕は普通の人よりもちょっとだけ北海道に詳しいだけで道民でも道産子でもない、北海道に一時移住を希望していたが今ではそれもない。かれこれ8年も北海道にも行っていないし、もうおそらくは行くこともないと思う。それでも北海道でちょっとした明るい兆しがあるとそれが気になってしょうがない。良いことは良いとは思うのだが最後の数回で見た北海道の急速な変わりようが同時に気にかかる。この先北海道がどうなって行くのかは直接僕には関わりのない事だが、こと北海道の事となるとこれだけ気になってしまうのだから僕は未だに北海道のどこかに夢を持ち続けているのかなと思う■

【北海道の衰退と鉄道の意外な関係】

凋落する北海道のシリーズ、今回は鉄道だ。他所から北海道の寂れ方を見るとまずは「鉄道がなくなったからだ」と考える方もいるかと思う。鉄道は確かに人が活動し移動するための要でもあり、鉄道があるからこそ地方の町村も必要最低限の生活が維持できると考えられるからだ。

 しかし実際にはそれだけではどうにもならない事情がある。平成に入ってから北海道の鉄道は激減し、以前はオホーツク海沿いの大半にも鉄道が存在したなんて話は平成生まれの人にはいまひとつピンとは来ないだろう。それではこれらの鉄道はどうして廃止の憂き目に遭ったのだろう。

 北海道にはかつて鉄道整備計画が日本の他の場所と同様存在した。そして計画に沿い鉄道が敷かれたのは北海道も成長を続け人口がピークに達する以前の話だった。これからまだまだ成長する場所に投資として鉄道を敷くことは経済成長の策としてはごくごく当然の事だった。ところがその計画は日本の経済成長の緩慢化と過疎化の問題を読み切れていなかった。鉄道が開通すれば過疎化に歯止めが利くと思ったのだろう。結果鉄道を敷いてみたものの思うほどに利用されず、赤字が続きそれが累積して国鉄やJR北海道の負担となってしまった。とにかく赤字路線は目立つ、こいつを運営しているから赤字はかさむとばかりと邪魔者のように扱い、最後は廃止させていった。それは確かに正しい選択ではあるが、ある意味それ以上の赤字累積にちょっとだけ歯止めをかける程度の効果しかなかったと言ってもいい。

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◆北海道の鉄道計画がすべて実現した時の図

 上の図はもしも北海道に計画されていた鉄道が一つも廃止にならずに完成するとこうなるという図、すごいね。こうなっていればもしかしたら北海道は今よりは衰退していなかったかも知れないし、鉄道マニアもウハウハだっただろうに。今となっては網走と斜里の間にしか残っていないオホーツク海沿岸の鉄道も北から南までしっかりと繋がっている。新幹線も旭川まで海回りと山回りの2つがある。ここには北海道のかつての夢がある。しかし現実は全然違う。

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◆現在の北海道鉄道路線図(これが現実)

 鉄道運営の聞き慣れない言葉の中に「営業係数」というものがある。これは100円の営業利益の為にかかる経費のことで、この数字が高ければ高いほど赤字になるということだ。

 2016年1月29日に開かれた「地域公共交通検討会議」でJR北海道が2014年度のこの営業係数を発表している。同時に運送密度(1キロあたりの運送人数)と営業損失も発表された。それを見ると営業係数100未満のいわゆる黒字路線は皆無。つまりJR北海道はどの路線も動かせば動かすだけ赤字は累積していくのだ。それ以外の収入源も乏しく、赤字を黒字に転換させるような対策もなく、今日も今日とて赤字を積み重ね続けているのが現状だ。

 そんな中でも目を見張るのは営業係数4554の留萌線・留萌~増毛間(輸送密度39/営業損失2億2270万円)だろう。これはなんともはや圧倒的な数字、過去に営業係数4731で日本最悪の赤字路線と言われた美幸線(美深~仁宇布)に迫る勢いだ。この4554と言う数字は100円の営業利益を計上するための営業損失(管理費含む)である。

 そんなわけでこの区間は近いうちに廃止になるらしいが、これだって単に営業係数が高いからだとか営業損失が高いという理由だけではない、この区間は安全確保のための防災工事が必要で、他の区間よりもお金がかかるからという理由がある。しかしそんな防災工事さえもままならないのはJR北海道ばかりがその費用を負担しているということもあるのではないだろうか、もちろん自治体の財政も逼迫しているのはわかりきっていることだが、もうすでに赤字路線でしかできていないJR北海道にはそれだけの余力も残っていないのかも知れない。(とは言っても防災工事ってすごくお金もかかるものだ)

 次に現在営業を休止している日高線が目立つ、営業係数も1179と1000オーバーしているが営業損失は15億4400万円。しかも現在は鵡川~様似間は線路流失で営業を休んで代行バス営業をしている。日高線という名前なのに日高にはまったく入っていない状態が続いている。これも復旧工事を本来ならすべきなのだろうがそれには膨大な費用がかかり、JR北海道は廃止も含めた協議をしているらしい。

 極端に高い営業係数は他にも札沼線の医療大学~新十津川間の2162。札沼線も末端は一日に1往復だけのすでに死にかけた路線でしかない。石勝線の夕張~新夕張間(1421)、根室線の富良野~新得間(1591)留萌線の深川~留萌間(1508)などが目につく、いずれも運送密度も300以下である。人が乗らなければ営業係数も高くなる、しかしそもそも利用する人が少ないので営業損失も低い。そんなわけで先ほどの日高線以外の営業損失は思いの外低い。(と言ってもどの路線も億単位の赤字には変わらないが)

 問題はこの営業損失という数字だ、これは大勢の人を乗せれば乗せるだけ赤字になっているJR北海道の体質が浮き彫りになっている。たとえば函館線の長万部~小樽間、いわゆる山回りルートは赤字係数は570、しかし営業損失は20億6700万円。宗谷線の名寄~稚内間は営業係数622だが、営業損失は25億4400万円。さらに輸送密度の高い路線を見ると石北線の上川~網走間、営業係数は327だが営業損失は29億700万円。この営業損失が最も高い路線こそが赤字の本丸と言ってもいいのかも知れない。この数字が最も高いのが函館線の函館~長万部間、営業係数194と無駄のあまりない路線でありながら営業損失は42億8100万円にも登る。

 これまで札幌~旭川間はJR北海道の唯一の黒字でドル箱路線だと思っていたが、同じ資料で見ると岩見沢~旭川間で営業係数143、営業損失は25億1700万円。札幌~岩見沢間は営業係数107だが営業損失は26億6200万円にも登る。ちっともドル箱どころではなく金食い路線になっているのだ。この数字を見ると単に営業係数が高すぎるからと営業損失は2億程度の路線が廃止の憂き目に晒されている。そこを切り捨てたところで営業損失に大した変化はない。寧ろ鉄道を失った地域の今後のダメージの方が計り知れないものではないだろうか。とは言っても営業損失の数字が大きいからと言って長万部以南の函館線や岩見沢〜旭川間を切り捨てると言うのは非現実的だ。ただし新幹線が札幌まで延伸したら前者は切り捨てられる可能性は高いだろう。

 ここまではデータを羅列してばかりだったが、ここまでの数字に至るまでに何か他に策はなかったのだろうか。今になって施設の老朽化や災害による損失も累積し、さらに度重なる不祥事で八方ふさがりもいいところである。地域活性化の屋台骨でなければならない鉄道事業がもはや火の車でしかも安全ではない、そのうえ被災路線は復旧しない。それでは地域が凋落するのは致し方ない。

 さらにJR北海道は優等列車ばかり増やし時短に腐心している。結果としてローカル列車はほとんどなくなり、場所によっては日に2~3往復しか列車が来ない駅もある。学生が朝の列車に間に合わなければ次に来る列車はすでに放課後なんてこともそれほど珍しくはない。優等列車は確かに速くて快適ではあるが、必ずしも降りたいところで降りられないし、何よりもただでさえ運賃が高い上にさらに高い特急料金を払わなければならない。そんなに気軽に利用できるものではないのだ。そして今のJR北海道はそういった列車ばかりが走り、もはや庶民が使えるような列車など少数になっている。それも札幌から離れた末端部分になればなるほどそうだ。せっかく鉄道が残っている地域でも、鉄道は最早気軽にできる移動手段ではない。ましてや貨物営業もしなくなり鉄道でモノが動くこともなくなってしまった。今やJR貨物の列車は旭川よりも北には行かないという現状はあまり知られていないのではないだろうか。

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◆JR貨物の北海道内路線図はスカッスカ

 鉄道は人だけ運んでいればいいという考えが今の北海道の貨物網をこんな有様にさせてしまった。もしかしたら北海道の末端の衰退の原因にはここにもあるのではないかと思われる。

 そんな八方ふさがりのJR北海道が漸く新幹線を北斗まで開通させることができた。(厳密に言えば函館でなく北斗、昔の大野・上磯である)北海道に新幹線は確かに道民の悲願ではあると思うが、それは高度経済成長と新幹線の相関関係が誰が見ても分かっていた時代のことであり、それを21世紀の現在にまで強引に引っ張ってきてもそれほどの効果はあるのかどうか疑わしい限りだ。厳しく言えば過去の夢にこだわってしがみついていただけである。ただ北陸新幹線で金沢が賑わっているのでもしかしたら当該地域はこの先ちょっとは盛り返すこともあるのだろうが、それも2030年頃に札幌まで新幹線が伸びればただの通過地点になりかねない。(ただし函館と札幌の行き来はかなり便利になり、酔いやすい振子列車に三時間も乗らなければならないということもなくなるはずだ、それだけでも意味があるかも)

 新幹線が延伸する頃、その途中にある八雲、長万部、倶知安はどれだけ新幹線を受け入れるだけの場所でいられるのだろう。今後も同じように衰退が続くのなら新幹線はただの札幌行きの手段の1つにしか過ぎない。今挙げた3つの町に駅を作る必要もなくなってしまうかも知れない。またJR北海道はあれだけ不祥事を繰り返しているのにこの上新幹線など任せて本当にいいのだろうか、こちらもとても気になる■

 さて、この北海道について最近思うこともすでに4回目、(3回目はデータ説明だったが)。今回は前回までの内容を踏まえてさらに話を続けたいと思う。

 前回までの内容で何故北海道はこれほどまでに寂れたのを考えた結果、現在の北海道は次のような傾向にある。

●人口は札幌一極集中
●札幌から離れた主要都市の人口減少は緩やか
●札幌や主要都市から離れた末端部分は人口減少が急速
●「市」である場所も鉱業で大きくなった場所は人口減少が急速

 一極集中については前回でだいぶ詳しく話をした、次は北海道内の札幌以外の主要都市というものの定義だ。北海道は札幌ばかりが肥大しているのでその他には都市としての必要最低限の機能がある程度なのかも知れないただ広い北海道の中で札幌以外に何もなかったら生活は成り立たないので各地にハブとなる都市はあるものだ、それがだいたい各支庁の支庁所在地(現在では振興局所在地)ではないかと思う。ここでもう一度14ある振興局の所在地を書いてみる。

函館、江差、倶知安、室蘭、浦河、岩見沢、留萌、旭川、帯広、釧路、根室、稚内、網走

 以上の中には北海道第二の都市、旭川もあれば、「市」になっていない場所もある。いずれもこれらの町をつなぐ移動手段がないとそれぞれが立ち枯れしてしまう。言うなれば人は血でそれをつなぐ血管の役割を道路や鉄道が担っている。これは北海道でなくても同じ事である。

 ここで道路についてふと思ったことを書いてみる。北海道には1級国道がいくつかある。この国道が機能しているのかどうかで沿線の状態も変わってくるのではないかと思う。たとえば5号線、函館から稲穂峠を通って小樽、札幌へつながるがこのルートは言ってしまえば札幌から南へ向かう時のメインルートではないような気がする。鉄道が海回りルート(苫小牧や伊達を通るルート)ばかり発達するのと同じで札幌より南は中山峠(国道230号線)を通るのが早くて近い。5号線をそのまま南下すれば倶知安、ニセコ、蘭越と続くのだが道路はあっても交通量はそれほどでもない。ニセコが観光資源が潤沢ではあるが同じ後志のその他の町は苦戦しているのではないだろうか、温泉があります、美味しいものがあります、来てみてくださいだけではもうどうにもならない。この地方には蘭越米、黒松内道の駅のパンなど、本当に良いものは確かにあるのだがそれが他の事情で埋もれてしまっている。これもまた北海道の寂しいところだ。

 次に国道12号線、札幌から旭川を結ぶ北海道の花形でもあるが、道路は一部拡張されているとは言え途中の町を通過するたびに流れが止められ思うように先に進まない感じがする。今では滝川までは浦臼回りの国道275号線を使った方が早いのではないかと思う。どちらも道路もそうだがトラックがガンガン通っていくので轍は深くてバイクには優しくない道だ。特に北海道の道路は轍ができやすい。とはいえこの国道は北海道の第1、第2都市を結ぶだけあって北海道の背骨のような役割をしている。

 国道12号の南が5号線と考えるとそれより北が国道40号線、旭川から塩狩峠を越えて士別、名寄、最終的には稚内にまで至る。しかしこの道路も塩狩峠を越えてしまうとあとは「末端」へとまっしぐらという感じもする。特に宗谷管内に入ってしまうともうそこに目立ったものは何もなく、ほとんど町もない、途中には幌延、豊富くらいの末端の町くらいしかなく、この沿道の様子を見ているとここはこのままだんだんと森林のようになっていくのだろうとしか思えなかった。

 同じように末端へと続く道に石北峠(国道39号線)もある、旭川側から峠を越えるとその先の留辺蘂まで何もない。ただ国道40号に較べると峠越えが激しいので確かにもとから人などほとんどいなくてもしょうがないという気持ちになる。しかし国道40号沿線はこれといった峠もないのにどうしてこんなに人がいないのだろうと思わざるを得ない。

 もう一つの主要国道は滝川から十勝方面へと続く狩勝峠のある国道38号線だが、こちらも峠越えがありその前後ははじめから人が住みづらい場所だと言うことが分かる。この国道が釧路まで続き、釧路から先は
国道44号線となってさらに根室へと続くがこの釧路と根室の間も厚岸、浜中の二つしか町がなくこの当たりも北海道の末端の行く末を見ているような気がしてならない。

 北海道は比較的道路のネットワークができていると思うが、それでも数カ所には「峠越え」という言葉がある。本州の道路情報ではまず聞かれない「峠の様子」も北海道では欠かすことができない、特に冬場の峠越えは大変なものだ。

 この峠越えが北海道の地方部に人や物が流れにくくなっている大きな原因の一つではないかとおもっている。場所によっては札幌から数カ所の峠越えをしなければならないという場所もある。北海道の高速道路網がまだまだ未熟だが、もうこれ以上高速道路を通してもしょうがないというのも正しいところだ。

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◆北海道高速道路図


 高速道はとりあえず札幌を起点にすると北は深川から留萌に分かれ、旭川からは士別まで,途中の比布から丸瀬布まで高速道が延びているがその先はまだ。十勝方面へは千歳からずっと伸びて大樹、足寄、阿寒まで伸びている。しかしその先はというとこれもこの先伸びるのと疑問に思う。札幌から南は道央道がそのまま苫小牧まで伸び、一方は門別まで、もう一方はさらに噴火湾沿いに大沼公園まで伸びている。しかしこれらの高速道も北海道の重要な動脈にはなっていない。道南で言えば国道5号線沿線や日本海沿いはまったく関係ないし、道北もオホーツク側の町にはせいぜい国道が繋がっているだけで札幌はあまりにも遠すぎる。これが高速道でも延びていればまた気分的にも違うのだろうが、オホーツクに高速道なんて今のところあり得ない。先ほども書いたが丸瀬布までは高速道路で札幌までは繋がるが、これも遠回りで実用的ではないような気もする。

 地方の主要都市が一方で寂れ、一方ではまだそれほどでもないという差を生むのは他でもなくこの道路事情の違いがあるからではないかとも思う。

 冒頭で羅列した四つの中の最後、鉱業ベースの市というのは空知管内にある赤平、芦別、歌志内、砂川、美唄、三笠、夕張でいずれも鉱業がもっとも栄えた時期に市制化している(1940年代から最も遅い歌志内市で1950年台後半)さらに岩見沢市はこれらの炭鉱都市と札幌をつなげる交通の要衝として栄えてきた。炭鉱が衰えると交通の要衝まで衰えるのかという考えはいささか短絡的だが岩見沢も人口減少が目立つ。仕事が減って札幌へと行く人が増えたのかも知れない。
 
 道路事情の改善、高速道路の是非、そして時代の需要が変わることでそこから乗り遅れて取り残されたかつての都市、これらの問題もやはり今の北海道を苦しめている原因の一つではないかと思う、だからといって交通網だけをどうにかすれば良いという問題ではないし、炭鉱が衰退した都市の代替にになる産業があるかというとそれもないし、まともに考えると北海道は八方ふさがりなんじゃないのと言いたくもなってしまう。そこに来てほんのちょっと新幹線がやって来たからと大浮かれしていて本当に大丈夫なのかな■