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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

坂東三十三カ所巡礼

先ほど書いた坂東三十三カ所巡礼とはそもそも何か、四国じゃなくて坂東って何なのかというか。まず坂東とはすなわち関東の事をさして言う。四国以外の巡礼は観音巡礼が多く、坂東巡礼はその起源が鎌倉時代、源頼朝が熱心な観音信者だったあたりから始まるらしい。関東平野にある三十三の観音を巡礼して回るのが坂東三十三カ所らしい。

今回秩父にせず坂東を選んだのは秩父が夏場は暑いと言うことの他にも、坂東の巡礼路はそれこそ四国にも匹敵するため最初から車での移動になると考えていた、車で三十三カ所ならさほど大変でもないだろうと思ったからだ(後に甘い考えだと言うことがわかった)さらに一番寺が地元鎌倉で、一,三,四番ともに鎌倉にあるあたりも思い立った理由(情けない理由だ)

これまでの四国と坂東の違いも書いておくが、四国は弘法を慕って巡礼するのに対し、坂東は観音を訪ねるもの。つまり札所の本尊は必ず観音である。四国の場合は弘法がいる寺を回るため、一寺で本尊と弘法の二カ所のお参りをする(どの札所にも必ず「大師堂」というお堂がある)のに対し、坂東の場合は本尊だけお参りすればよい。四国の場合は弘法ゆかりの寺が札所になるため、必然的に宗派は真言宗が圧倒的に多いが、坂東の場合は他の宗派の寺(特に天台宗)も入っている。

巡礼にはつきもののあのスタイル。四国では当たり前であの格好でスーパーでもコンビニでもホームセンターでも行けてしまうがさすがに坂東を巡礼する人はあれを着ている人が少ない、少ないがあのスタイルは巡礼者のスタイルなので皆無ではない。その白衣も背中に書かれた宝名が四国では「南無大師遍上金剛」なのに対し、坂東(西国、秩父)では「南無大慈大悲観世音菩薩」と書かれている。金剛杖も同様にして宝名が違う。そのため四国のものが使い回しできないのだ。杖を伴って巡礼することを「同行二人」と言うが、四国は弘法と一緒なのに対し、坂東では観音と一緒ということになる。納経帳も当たり前だが坂東用の納経帳を使う。納め札も四国のものと坂東のものでは違う。

一方数珠、輪袈裟、菅笠は使い回しが可能だが、輪袈裟は多分に四国や弘法の名前が入っているものや一番で遍路支度をすると「霊山寺」と名前の入ったものもあるのでそういったものは使い回しができない。

もう一つ違いを挙げれば四国の場合は巡礼のことを「遍路」と言うが、それ以外の場所では「遍路」とは言わない。巡礼なのである。遍路という言葉は四国を巡礼する人、する事をさして言う。

お参りは基本的には同じだが、観音を巡礼するため読経の際は般若心経の他に観音経を唱える。と言ってもあの長い観音経ではなく、十句観音経という短いものがある。四国では弘法の宝名を唱えるが、坂東の場合は観音の宝名(南無観世音菩薩)を唱える。それ以外は全く同じだろう。

さすがに四回も四国巡礼をしていると坂東でもその要領はすぐに飲み込める。今回は最初から妻を伴って一緒にお参りをすることにした。妻も相当乗り気(というのも、妻も遍路があと38ヶ寺残すところにまで来ていた)である。

次からは実際の巡礼日記。
by fibich | 2009-07-14 17:43 | 旅の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
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