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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

遍路日記(34)

八月十四日 番外:牟礼町山田家、綾上町山越

さて、この日記は全然寺とは違う。遍路の自分が観光客衆生に戻りうどん屋を打ち続けた話だ。

八十五番八栗寺へ向かう途中に山田家といううどん屋がある。このうどん屋は水曜どうでしょうでも紹介され、この店に立ち寄ってしまったがために帰れなくなったという曰く付きでもある(実際は帰れたのだと思うが)

店構えも立派なら駐車場も立派。立派なのにほとんど車で埋まっている状態だった。もうお昼時が近かったのでものすごい人、人、人また人である。中庭に順番待ちの名前を書く場所があったのでよく確かめずに「大泉」と名前を書く。本名は日本でおそらく一番多い姓である僕はこういった名前に実名を書いた試しがない。しかしここでは下の名前も書かなければならないことに気づいたのはすでに大泉という名前を書いた後だった。

水曜どうでしょうに登場する大泉なる人物は「おおいずみよう」という。僕が大泉という姓を名乗り、下を本名で名乗れば「おおいずみよういち」になってしまうのである。しかしすでに時遅しで消しゴムも何もなく取り消しもできない。仕方なく下の名前は本名にした。しかも中庭で順番を待っていたとき、白装束に金剛杖を背負っているお遍路さんなんてのは僕くらいしかいなかった。お遍路姿はどこでも自然だと思っていたのだが、さすがに都会ではちょっと恥ずかしいなと思うところもあったのは否めない。中庭では相当目立っていた。

そこにだ、
「お一人様のおおいずみよういち様、お待たせしました」と店員の呼び声。周囲の注目を浴びただけでなくあちらこちらから笑い声が聞こえてきた。本名を呼ばれて何人もがぞろぞろ出て来て気まずくなるのを選ぶか、ここまで失笑にも似た笑いを受けるかは究極の選択かも知れないが、結局後者を選んでしまったのだ。

中に入ると座敷席に通され、この店名物のざるぶっかけうどんを食べる。素晴らしい。とにかく素晴らしい。太めのうどんの面が上下の歯を拒まずに受け入れたかと思うと、途中から強い歯ごたえが生じて心地いい。これがうどんである。そして出汁もどう作るのか知りたいほど深い味わいだった。うどんひとつでこれだけ感動したのは昔の宇高連絡船土佐丸の立ち食いうどん以来のことだ。(このうどんはもう食べられないこともあり、伝説のうどんとして語り継がれているらしい。)

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これが山田家のざるぶっかけうどん


山田家ですっかりうどんを満喫し夢のようなひとときを過ごすと。再び炎天下でバイクを走らせることになる。もう言い飽きた感もあるが今日も四国は灼熱地獄。次の目的地もまたうどん屋。高松まで出て国道193号を南下。綾上町まで走る。

約1時間ほど走り目的地の山越まで来ると道路が渋滞している。バイクは横をすり抜けられ、先に進むと誘導員がいたので言われるままにバイクを近くの小学校脇に止めるとその横には長蛇の列ができていた。この列がすべて山越のうどんを待つ人たちだったのである。行列の最後尾はおそらく店の入口から100メートルほどにも伸びていたかと思う。香川県内にはこの山越の他にも有名なうどん屋が数多くあるのだが、どうしてここまで足を運んだかと言えばこれもまた水曜どうでしょうがらみではあるが、この番組のディレクター藤村忠寿がとにかくもっとも美味しい店とエッセイで紹介していたからである。

しかしこんな行列、それも日陰がほとんどない炎天下でうどんにありつけるまで立ち並んでいなければいけないかと思うとくらくら来るほどだったのだが、次にいつ四国に来られるか分からないことも考えると並ぶことにした。大阪あたりからなら気軽に行けるような場所でも横浜からでは遠すぎる場所なのである。

こうして小一時間ほど行列の中で炎天下、時に日陰の下で順番を待つ。すでに閉店の時間は過ぎており、もしかしたらうどん食べられないんじゃないのかなと不安になりながらひたすら並んで待つしかなかった。店の暖簾をくぐるとメニューがあり、カウンターでまず注文。その後自分で好きな物をトッピングして一番奥にあるレジで会計を済ませる。ここでは藤村Dが勧める釜玉うどんを食べた。釜揚げうどんに卵をのせただけのもので、うどんつゆは自分でかけるうどんだ。つゆの代わりに生醤油をかけて食べる人もいる。

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「山越」の暖簾をくぐった先。ここまで到達するのに小一時間ほどかかった。


すでに山田家で大盛りぶっかけうどんをたべてお腹はまだ空いていなかったのだが、この釜玉うどんを大汗書いてずるずる食べた思い出は一生忘れないと思う。それは炎天下で待たされたこともあるのだが、このうどんは先ほど書いた山田家や土佐丸のうどんとはさらにレベルが違っていた。食感も山田家のうどんとは大違い。最初から強い歯ごたえと口の中で踊るような腰の強さがとても気持ちよい。このうどんよりもセンセーショナルなものはおそらくこの讃岐以外では見つからないだろうと確信するほどであった。

こうして山越を出るときにはすでに2時を回っていた。いくらうどんのためとはいえ予想以上に時間を費やしてしまい。急いでバイクに戻るといよいよ最後の大窪寺を目指して走り始めた。

  つづく
by fibich | 2006-09-30 23:16 | ライダー日記

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by 遊羽(なめタン)
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