ブログトップ | ログイン

幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

音楽の聴き方

 今日はわんこの話題とは全く関係ありません。

 先日YouTubeで昔聴いていたアルバムがまるまるアップロードされているのを偶然発見して聴き入ってしまった。アルバムは数枚だがいずれも僕が中学生、高校生くらいの時分の頃のアルバムだ。まさに若かりし青春時代の思い出といってもいい。

 で、そのアルバムのレビューをしようって言うわけではない。その頃どうやって音楽を聴いていたのかを思い出してみた。少なくとも当時の音楽はLPレコードをカセットに録音してそれを聴くのが主流だった。LPレコードは演奏しながら持ち歩くなどと言うことは不可能で、モビリティという面では全くもって向いていなかったが、昔の音楽のメディアはこのレコードというものだった。

音楽の聴き方_a0004070_00565722.jpg
◆今回聴いたのはこちら、鈴木英人のイラストが時代を語っている


 そしてCDが登場するのが1980年台後半、それも最初のうちはなかなか浸透しなかった。それにCDも当時はコンパクトではあったがモビリティという側面から見るとレコードとほぼ同じだった。雑音はなくサウンドはクリアではあるが、どこか温かみには欠けていた。といっても今日はそんなCDの音についても何か書こうとは思っていない。

 要はアナログ時代の音楽の持ち運びは手のひらに乗るカセットテープが主流だった。そしてLPレコードにもカセットテープにも共通していたのがA・B面の存在だった。LPレコードをメディアにした「アルバム」という単位はそこに収録されている全ての曲がひとまとめになった商品でもあり。それを切り離して使うのは使い手のすることだった。要するにアルバムの中のお気に入りの曲を他のアルバムのやっぱりお気に入りにしている曲と一緒にしてカセットテープに録音した上でそれを聴いていた。今でもこのコンセプトはメディアも方法も変われども同じかもしれない。

 そしてアルバムに収録される歌はただ無造作に収録されていたわけではない。A面の1曲目、3曲目、ラスト、B面の1曲目、B面のラストなどはちゃんと考えて収録されていた。ここがアーティストの見せ所だったかもしれない。場合によってはB面の3曲目なんてもの重要なファクターだったと思う。さらに大雑把に言えばA面、B面の存在はアルバムに魂が込められるか否かさえも決定する要素だったと思う。

 ところがCDの登場によってB面の存在はなくなると、1曲目、3曲目、ラストだけに気を配ればよくなり、アルバム単位での楽しみは言ってしまえば半減してしまったようにも思える。

 さらに最近ではアルバムをダウンロードして聴くことが主流となり、もはやCDはメディアとして必要不可欠とまではいかなくなってきた。アーティストがアルバムを作っても好きな曲だけダウンロードされ、そうでない取り付きにくい曲はスキップされる。アルバム単位でダウンロードしたほうが割安なのでとりあえず全曲ダウンロードしたとしても、プレイヤーの方で曲順をいくらでも編集できるからそういった曲はだんだんと聴かれる機会も減ってくる。シングルのB面なんてものの存在はないが、B面の存在は大きかったと思う。アルバムからシングルカットをするにあたり、メインとなるA面と一緒に収録される曲選びだって重要だったことだろう。要はB面の曲というのはアルバムの「その他大勢」として埋もれさせるには秀逸でありながら、やっぱりA面程にはアピール度もない、けれども名曲となりうる可能性も秘めている。そういったちょっと注目すべき村祭もCDの登場でばくなってしまった。

 そしてここが一番言いたいところなのだが、そういったA・B面の存在を意識して作られたアルバムというのは今聞いてみてもメリハリがはっきりしていて聞いているだけでも楽しいものだ。今のアーティストのアルバムが云々などとは言わない。逆にこんなアーティストにA・B面のあるアルバムを作らせたらどうなっただろうなと思うこともある。

 昔はそんなA・B面のハッキリとしたセオリーに則ったアルバムが当たり前で、その順番で音楽を聴いていたが、今では大量にひとつのプレイヤーに突っ込み、シャッフルして聴くなんていう聴き方もされている。シャッフルが悪いとは言わない、シャッフルプレイのあの意外性と次の曲に対する期待感というのが逆にデジタル化した時代の新たな楽しみと言ってもいいだろう。しかしそこには曲の順序で勝負をするアーティストの思いは全く伝わらない。当然CD革命以降に生まれた若きアーティストにはそんなA・B面なんて言われたってわからないと思うかもしれない。やっぱりA・B面の存在はレコードをひっくり返したり、カセットの場合はオートリバースであってもそれなりの「儀式」が伴うから楽しかったのだろうと思う。今はそんなインターミッションもなく始まったら最後まで、場合によっては自分が止めるまで延々と音楽が続く聞き方が当たり前となった。それって便利だけどそんなんでいいのかなと昭和生まれの僕は時々思うことがある■

音楽の聴き方_a0004070_00565697.jpg
◆持論だが青春ってのは感動を伴う時代であり、その人の若さは関係のないことだと思う

by fibich | 2017-07-16 00:59 | 日常の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31