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幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

三陸の思い出(終)

 震災後ズルズルと書いていた三陸の思い出も今日で終わりにしたいと思います。結局写真をアップさせることはありませんでした。(忘れた頃かな…)

 9月に入りキャンプ場から国民休暇村本館の仕事へ配属が代わり、女子寮で生活をしていた話は前回書きました。この仕事も9月中旬までの短い間のことで、そろそろ宮古を去る時が来ました。

 時間賃金も低く、さらに昼食代は引かれることもあってあれだけ働いても給料は手取りで20万にもならなかったのを覚えています。最終日に賃金を受け取る際、交通費は往復出るがそれも宮古駅までの普通運賃という事になってましたが最後の最後までしっかりと働いたことから帰りの新幹線代も出してもらいました(これだけで多分1日分の賃金にはなる)。その日の晩はささやかながらキャンプ場にいた親方や休暇村の女子職員たちがお別れ会を開いてくれ、宮古最後の夜は結構ヘベレケになっていたと思います。

 翌日は昼に宮古を去ることにしていたので午前中遅番だった女子職員が自分の車で最後の宮古観光に連れて行ってくれました。彼女はキャンプ場が忙しかった時には売店にも入ってくれて結構仲が良かったこともあり、最後だからちゃんと宮古を見て帰ってけれと浄土ヶ浜や潮吹き岩など宮古の名勝に連れてってくれ、最後にずっと働いていた中の浜キャンプ場にも連れて行ってくれた。思い出がたくさん詰まったキャンプ場や売店、女遊戸(おなつぺ)の海岸もこれで見納めであった。キャンプ場はすっかり秋だった。

 宮古駅で最後のお別れをすると駅から盛岡行きのバスに乗り、盛岡からは新幹線代をいただいておきながら鈍行列車で帰った。青春18きっぷを持っていたからだ。

 こうして宮古での長期バイトは終わった。バイトで得たお金はその後の沖縄研修の旅費に充て有効に遣うことができた。宮古にはその後数年は毎年のように行っていたが流石にここ10年以上は足が遠のいていた。別に忘れていたわけではなかったが、こうして若い時の思い出の場所は次第に距離ができ、最後はあのような震災で悉く姿を変えられてしまった。

 また数年後、キャンプ場が再開しているかどうかはわからないが、休暇村や中の浜、そして毎日星を見上げた女遊戸海岸に行ってその時の思い出の欠片を拾い集めてみたいものだ。
by fibich | 2011-08-19 20:26 | ある日の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
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