ブログトップ | ログイン

幻想と日常 ~La Fantazio kaj la Kvotidiano

三陸の思い出(8)

宮古市の中の浜キャンプ場で住み込みで働いていた時の思い出を書いています。

実際に宮古に滞在したのは1ヶ月半、もうちょっとで2ヶ月というくらいの期間だったのだがその間にもらった休みはたったの4回だけだった。そのうちの2回は自分でも何をしたのか今となっては思い出せない。キャンプ場にいると休みでもヘルプとして働かなければいけないなんてことは容易に想像できるのでできるだけ朝早くからキャンプ場を離れていた。

 先に山田から友人が遊びにやってきた話をしたが、岩手からやって来た友人はもう一人いて、電話で連絡をとりながら遊びに行くことになっていた。宮古駅から山田線に乗り釜石まで行き、釜石から三陸鉄道南リアス線に乗り盛まで行き、そこから大船渡線に乗り換えてさらに南下をした。岩手県はとにかく広く、三陸地方の交通網はそれほど時間に都合が付けづらく移動も大変。乗り換えに乗り換えを続け着いた場所は陸前高田だった。

 友人は駅前に駐めてある車を指さし、
「これに乗るから。」と行った。
車つきでいろいろと観光案内してくれるなんてエライ歓迎ぶりじゃないかと思ったら。
「運転はお前ね。」
とひとこと。

こうして乗り慣れぬ車を運転して友人が案内するがままにあちこち見て回ったのだ。大船渡では有名な景勝碁石海岸、穴通磯などはもちろんのこと、「鴎の玉子」で有名なさいとう製菓やどういうわけか大船渡駅まで見に行った。陸前高田ではできたばかりだという新しいホテルを見に行った。名前はキャピタルホテル1000と言い、高田松原の真っ正面という素晴らしいロケーションだった。高田松原は日本の三大松原の一つだと友人は自慢そうに行っていたのだが、確かにこれはそうだという美しさ。

ところでなんでこのホテルは1000なんて数字が付いてるんだと聞いてみると、
「陸前高田は千正夫のふるさとで、千正夫の出資でできたホテルだから1000ってついてるんだよ。」とのこと。
さらに唐桑半島を越えて南にある気仙沼にまで行った。非常に濃い内容の一日だったがよく考えてみればすべて自分の運転だった。

 帰りは盛駅まで行って(運転するのが自分だったから無理矢理盛駅まで行った)そこから宮古へと帰った。こっちの友人は大学時代の親友と言っても良いくらいで今でも年賀状のやり取りだけはやっている。

 この友人は現在も横浜に住んでいるが、実家は陸前高田にあり、それも駅よりも海側だったと思う。どうなったのかとても気にかかるのだがどうしても聞けずにいる。実はこの後も何度かこの友人が帰省をした折りにあわせ陸前高田には遊びに行っている。岩手県で最も思い出のある場所は当然宮古だが、宮古以外では山田とこの陸前高田を真っ先に思い出してしまう。

 
by fibich | 2011-04-27 13:02 | 旅の話

詩と写真の日記

by 遊羽(なめタン)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31